Miloli'i

Miloli'i




The Makaha Sons with Shadow Koko in Naperville, IL August 8, 2009


 Miloli'iへ行ってきたんだ。
 ロバに乗ってね。
 道中でイヤんなっちゃったけどさ。

 Miloli'i aku nei au la*
 I ke kau 'e*kake la*
 Nuha i ke alanui

 はずむようなノリのよさと、アップテンポで駆け抜ける感じが、最高に愉快でユーモラスな内容を予感させる『Miloli'i』。Ka*ne(男性)のためのフラソングで、どちらかというと初々しい若者よりも、makuaka*ne(お父さん世代?)にふさわしいmeleのようです。それにしても、いきなり笑いを誘うロバのシーンなのですが、「nuha」(不機嫌な、障害のある)ですから、道中、ロバ('e*kake)がいうことを聞いてくれなかったんでしょうか……。
 ハイウェイを出て、海に向かって下る砂利道を車でたどること30分、でこぼこでうねるように続く道を抜けたところにあるのが、ハワイ島サウスコナの田舎町、Miloli'i……1946年にこの町を訪れたMona Kaheleは、彼女の著作にそんな旅の道中の様子を描写するとともに、Miloli'iに至る道すがら、1926年にその地域をおそった溶岩流のひろがる場所を通ったことを記しています。一方、この歌が作られたのは1930年代のようなので、Miloli'iといえばとにかく道が悪いという、ひとびとの間にある共通の認識というかお約束みたいなものがあったのかもしれません*。

 Waiki*ki*に行ってきたんだ。
 ゾウに乗ってね。
 そう、(あれって)鼻がながいんだよ。
 
 Waiki*ki* aku nei au la*
 I ke kau 'elepani la*
 Ihu peleleu

 ロバの次はゾウ('e*kake)というのも驚きですが、ハワイ島の次はオアフ島のWaiki*ki*とは、フットワーク軽すぎですね(笑)。そして、フラのほうも、ロバの手綱をひっぱっていた振りよりも、さらに激しくおかしさ満載……たしかに、ゾウの鼻は長く伸びている(ihu peleleu)ものですが、コケティッシュなオーバーアクションがとにかく笑いを誘います。というか、ゾウにのってWaik*ik*iというのが、だいたいあり得ないわけですが……。

 サンフランシスコに行ってきたんだ。
 飛行機に乗ってね。
 (それで)ビュンビュンって空を飛んだのさ。

 Calafrisco aku nei au la*
 I ke kau mokulele la*
 Lewa i ka lewa

 ホノルルへ行ってきたんだ。
 スチームローラーに乗って(グイグイっと)ね。
 (それでもって)大きな道を走ったってわけさ。

 Honolulu aku nei au la*
 I ke kau steam a rola la*
 Holo i ke alanui

 飛行機(mokulele)でサンフランシスコ(Calafrisco)とは……もう誰も彼を止められないって感じでしょうか(笑)。そして、先のゾウの動きや飛行機の翼を表現する腕の勢いを見ていると、なにか途方もない喜びを表現しているようにも思えてきます。そう、彼は、ロバでガッタンゴットン揺られるだけでは得られないなにか(快感?)にめざめてしまったのではないかと……それで、空を飛ぶように(lewa i ka lewa)夢見心地なんですね。
 スチームローラー(steam a rola)で地ならしして……と歌われるあたりは、最後の仕上げ(?)、あるいはなにもなかったことにするってこと(?)なんでしょうか。ともかく、とことん道が悪いMiloli'iではない都会を、しかもどんな道だって平らにしてしまうものに乗っかって走ったわけですから、もう何もこわくない(?)、あるいはどこまでも行けてしまう、そんな心境だったのかも―というか、結局のところ、いったい彼の目的はなんだったんだろう……?

 もうぼくの気持ちはわかったよね。
 (いつもの)ロバに乗っても、
 道中で飽き飽きしちゃうってわけさ。

 Ha'ina mai ka puana la*
 I ke kau 'e*kake la*
 Nuha i ke alanui

 そう、彼が一番伝えたかったことは、冒頭でも語られたように「ロバでMiloli'iに向かうのはいまいち乗り気がしない」といことでした。そして、その後の展開を振り返ってみると、まず「ロバからゾウ」というのが飛躍がありすぎて「?」な感じですが、フラのモーションからすると、おおむね同じことがバージョンアップしているだけのような印象もあります。そして、そのあと(喜びのあまり?)飛行機で夢心地……という流れを考えあわせると、ロバでMiloli'iへ出かけることは、つまりは彼の日常と地続きのところにあるお楽しみ(だったもの?)で、そんな身近なものに飽きて非日常を求める気持ちが、ゾウ、飛行機、スチームローラーという作り話として語られたのではないか……というふうにも思えてくるんですね。そして、もしホントにそうなんだとする、なんだかバカバカしくて付き合ってられない気もしますが(笑)、そんな、いくつになっても子どもみたいなひとも、世の中にはいるのかもしれませんね。というか、男のひとって、多かれ少なかれそんなものだったりするのかも……。
 それはともかく、(たぶん?)ほら話で済んでるうちは、まぁ、それもありなん……みたいな感じでしょうか。そう、この誰かさん、ホントウはサンフランシスコどころか、オアフ島にだって、おそらく行ってないに違いありませんから……。

*:Hawai'i島Kona、Na*po'opo'oに生まれ育ったMona Kahele(1921-2006)は、1946年に彼女が初めてMiloli'iに行ったときの印象を、次のように記しています。「私がはじめて、そのisolated(外の世界から遮断されたよう)な村に行ったときのこと……ハイウェイから(Miloli'iのほうへ)向かうと、ひどく道の悪い砂利道に出たの。もうそこは道路(road)というよりも山道(trail)って感じで……途中で溶岩流の痕跡(lava flow)が出迎えてくれたわ。道中はホントに果てしなく遠く思えたの。穴ぼこがいっぱいで狭い道が延々続いていたから……対向車がきたら、どうするんだろうと思うくらい。そうして、溶岩やらカーブやらをいくつもやり過ごしたはてに、ようやく遠くのほうに家の屋根が見えはじめたのね」。
 近隣の村からも数マイル以上離れているMiloli'iのことを、Monaは「isolated」と表現していると思われますが、当時のMiloli'iは、物理的に外の地域との距離があるというだけでなく、村に2、3台しかない電池式のラジオだけが情報源であるような、ある意味、陸の孤島的な場所だったようです。ラジオが電池式というのは電気が通っていなかったためですが、水道も通じていなかったMiloli'iでは、日々、タンクにためた雨水で生活していたようです。
 Miloli'iで生まれ育っ男の子は、初等教育を終えると漁師になるくらいしか選択枝がない……そういう時代でもあったようです。夢の世界と対比するには格好の、限りなく現実的なものがはりついている、そんなMiloli'iのイメージがあったのかもしれません。また、1930年代という時代を考えると、どんどんアメリカ化していく都会へのあこがれみたいなものもあったでしょうか……。
 ところで、Miloli'iには、いまも水道や電気が通っておらず、雨水や太陽光による自家発電での生活が営まれているようです。いわゆる観光ではなく、ハワイらしさを楽しむためには抜群のロケーションのようですが、旅行者のための飲食店もないようで、大勢の人が訪れる場所ではなさそうです。
 ちなみに、Miloli'iの「Milo」には「weave」(編む)、「twirl」(ぐるぐる回す)、「twist」(ねじる)といった、ロープを作るときの作業を思わせる意味合いがあり、昔から、この地域に暮らすひとびとが、漁業を生業としていたことを思わせます。
**:どのバースにも含まれる「aku nei」が、過去の移動を表しています。

参考文献
Kahele M: Clouds of memories. Honolulu, Kamehameha Schools, 2006, pp165-174
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コメント

tikiroa

イベントで先生踊っているのを見たことがありますが、ここまでオーバーではなかったような…。
教えてもらいたい曲の一つです。

隙間のりりー

tikiroaさん

そうなんですね……私も、実はライブのフラはみたことがありません。
神や自然をたたえているものからコケティッシュなものまで、フラの表現ってホントにいろいろあるんだなぁとあらためて思いました。
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。