Laimana

Laimana





Kuana Torres Kahele with Glenn Mayeda and Ioane Burns at the Made in Hawai'i
Festival at Blaisdell Center, August 17, 2012


 なんてきれいなんだろう……。
 Lyman家のいえが見えるよ。
 見あげるほどりっぱで、幸せに満ちあふれている。
 そう、まるごとの幸せが……。

 ʻIke aku i ka nani
 Ka home aʻo Laimana
 Home kau i ka nuʻu
 Home piha hauʻoli
 Home piha hauʻoli

 友人たちがくつろいでいる。
 そう、Konaの海辺のその家で。
 Konaといえば穏やかで静かな海。
 そしてHuala*laiが見えもする。
 そんなすばらしい自然に守られたこの場所で……。

 Nanea me nā hoaloha
 Ma ka lihi kai aʻo Kona
 Nō Kona ke kai malino
 Nō Hualālai kou makua
 Nō Hualālai kou makua
 
 見あげるほどりっぱで(kau i ka nu’u)幸せにみちている(piha hau’oli)と歌われるLaimana家のいえ……どんな家だったのか以上に、Laimanaという人物のことがまずは気になります。
 この歌が作られたのは1960年代のことですが、歌の舞台は19世紀のハワイ島、Laimanaとハワイ語で呼ばれているのはDavid Belden Lyman(1803-1884)です。米国コネチカット州生まれの宣教師だった彼がハワイの地を訪れたのは1832年のことで、ABCFMによってハワイに派遣された初期の宣教師の一人だったようです*。まず、Honoluluでハワイ語を学んだLymanは、その後、ハワイ島Hiloの教会で布教活動を行うとともに、1836年に寮制の学校を設立します。最初はわらぶきの小屋だったようですが、1838年にその学校の生徒たちの手によって木造の施設およびLyman家のいえが建てられます。これらの建造物は、ハワイでも最初期に建てられたニューイングランド様式のもので、当時はHiloの街に宿泊施設もなかったことから、旅人を迎える場所としても機能していたようです。Lymanの家がりっぱだと歌われ、多くの友人たちが訪れくつろいでいるとされるのは、おそらくそのあたりのことが描写されているものと思われます。

 その場所はゴールドかダイアモンドかと思うほど太陽の光で輝いて、
 ゆるぎない価値をまとってもいる。
 (この家は)こころあるこの土地の子どもたちによって建てられたのです。
 そう、こころざしに満ちた子どもたち自身の手で……。

 He kohu kula kaimana
 ʻAlohi nei i ka lā
 Ua `ohu `oe a kūpaʻa
 Nā keiki aloha ʻo ka ʻāina
 Nā keiki aloha ʻo ka ʻāina

 生徒たちが、学校どころか先生の家も建てるなんて、え~っ?て感じでしょうか。だからこころざしある子どもたち(na* keiki aloha)なのかもしれませんが……もしかすると、学校といっても、私たちが想像するようなものではなかったのかもしれません。そして実際に、生徒たちは、寮生活で寝食をともにするだけでなく、畑仕事をするなどして、自給自足的な生活をしていたようです。しかも、Lymanが生徒たちに達成するよう求めるレベルも高く、学校の規律も厳しかったとのこと。そのため脱落者も結構いたようですが、それだけに、のちにハワイのリーダーとして活躍する人材を輩出したような、そんな学校でもあったようです。「ku*pa’a」(ゆるぎない価値をまとっている)ということばは、そんな学校やLymanの人柄を象徴しているのかもしれません。

 あなたの名をたたえてこの歌をささげます。
 さあ、Lyman家のいえのことを語りましょう。
 見あげるほどりっぱで、幸せに満ちあふれている、
 そう、まるごとの幸せが……。

 E o* mai kou inoa
 Ka home aʻo Laimana
 Home kau i ka nuʻu
 Home piha hauʻoli
 Home piha hauʻoli

 生徒たちによって作られたLymanの家および学舎は、教会とともに1853年に火災で焼失し(放火とも伝えられる)、さらに大きく建て替えられることになります。現在、「Lyman House Memorial Museum」(1931開館)として残されているのは、1838年に建てられたLymanの家を復元したものです。
 Lymanは1851年に帰化し、ハワイの合衆国併合に反対したひとでもありました。宣教師としてハワイのひとびとに新しい世界観を伝えることを命としたLymanですが、ハワイのハワイらしさを愛するひとでもあったようです。しかも、Lymanの墓碑には、彼の名前のハワイ語表記である「Laimana」と記されていると聞くと、ちょっと考えさせられるんですね**。ふたつの文化のはざまにあって、その隔たりのなかになにかをみてしまった人物―Lymanは、そんな微妙なポジションを生きたひとではないかと、わたしなりに想像しています。

Composed by Lei Collins

*:The American Board of Commissioners for Foreign Missions(ABCFM)は、1810年に米国で設立された、宣教師の海外派遣を目的とする組織。
**:1853年にやむなく英語での授業が導入されるまでは、ハワイ語を守りたいという彼の意思のもとで、ハワイ語による教育が行われていたようです。
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コメント

jazztama

はじめまして。
フラをはじめて8ヶ月の初心者です。
Po La'ila'iの曲の訳詞を検索していてこちらに来ました。

訳詞だけではなく、背景も教えてくださり、また訳詞も
すごく柔らかい文章で気に入ってしまいました。

大阪でmeleを読む会があるそうですね。
まったくの初心者でも参加できますか?
都合がつけば伺ってみたく思いました。

素敵なサイトを発見できてとてもうれしいです。
頑張ってください。

隙間のりりー

jazztamaさま
うれしいコメントありがとうございます!
週1回のペースで更新していますので、これからもよろしくお願いします。

meleを読む会、ぜひいらしてください。
不定期ですが、木曜日の7時から、新大阪でやっています。
meleのハワイ語を可能な限り理解することをめざしています。文法なども説明しながら進めますので、予備知識はなくても問題ないと思います。
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。