He Waiwai nui ka pono o na* ku*puna e He wai ha*nai no na*'oha* e Ola ke kalo i ka wai e Pu'*ali'ali i ka wai'ole Ola ka ha* Ola ka wai Ola ka 'i* E ola no* e na* palili e E ho* mai ka wai e inu ka*kou e E na* kini lani e na* kini ho*nua E ho'omalu ia* ka wai kapu o ka lani e
軽快なリズムと明るいメロディが、もうそれだけでハワイ気分を連れてくるように思われる、『He Waiwai Nui』。タイトルの「he waiwai nui」(偉大なる遺産)から、宝探しにでも出かける歌なのか?と思ってしまいそうなくらい、気持ちをグッと盛り上げてくれる曲ですが、歌詞をたどってみると、そんな印象とのあまりのギャップにまずは驚かされる歌だと思います。 そんな内容と歌のアレンジとの間にある隔たりは、この歌がもともとハワイの伝統的なoli(詠唱)として作られたものであることによります*。もしかすると、(テーマは別として)『君が代』がロックにアレンジされたようなものなのかも……なんて思ったりしますが、ともかく内容をたどってみたいと思います。 まず、われわれにとっての「偉大なる遺産」(he waiwai nui)について、それはなによりも祖先たち(na* ku*puna)が指し示してくれる正しさ(ka pono)であるとされます。そしてこの後、taro芋とそれを育む「wai」(水)との関係が語られるのですが、これについては、いわゆる植物を育てる水というのではなく、ハワイの創世神話『Kumulipo』に登場する、人間のはじまりをめぐる物語をベースに理解する必要があるようです。もともと王族の系譜を伝えるために語り継がれてきた『Kumulipo』ですが、そこには、単に王族の名前が連ねられているのではなく、まずはこの世界そのものの起源が語られ、人間も含めたあらゆる生命の誕生がそれに続き……といった具合に、気が遠くなるほど壮大な内容が含まれています。そして、taroの芽吹きについて語られているのが、「Wakea」と「Papa」が登場するくだりです。そこでは、天なる父Wakeaが、大地である母Papaを雨でうるおすことによって、「はじまりの命」ともいえる存在「Ha*loa」が、taroの姿で誕生したとされます。この歌の中で「ha*」と呼ばれているのがその命にあたるのですが、「ha*」は命そのものである「息」(breath)であり、神話に登場するはじまりの子ども「Ha*loa」のことでもあります**。そして、こんなふうに、王族の具体的な系譜に先立って登場するHa*loaは、王族だけでなくすべてのハワイ人のはじまりでもあると考えられてきました。いわば、taroと人間とは、起源を同じくする「きょうだい」みたいなものなんですね。しかも、ハワイ人にとって、taroは命をつなぐ糧でもあった……そこには、人間と人間以外の生き物が、ともに同じルーツのもとにあるという生命観と、人間がそれによって生かされているところの自然に対する、感謝とも畏れともいいがたい、深い洞察があるように思われます。 「われらが飲む水をあたえたまえ」(e ho* mai ka wai e inu ka*kou)と、雨乞いを思わせるようなことばも含まれているように、ハワイのひとびと、とくに古代に生きたハワイ人にとって、水はなにより貴重なものであったと思われます。そう、日々の水くみの大変さにはじまって、日照りが続いたときの祈るような気持ちや、豊かに実ったtaroを収穫するときの喜びにいたるまで、あらゆる場面が「wai」(水)への感謝とともにあるような、自然に近いところで営まれる生活であってみれば……そして、そんな環境のなかで生まれたであろう、水を「ka wai kapu o ka lani」(天からもたらされる聖なる水)と呼ぶ感性こそが、先祖代々受け継がれてきた「he waiwai nui」(偉大なる遺産)***にほかならない……Hewett氏は、そんなハワイのひとびとにとっての精神的な遺産のことを表現したかったのではないかと思われます。もっとも、この遺産は、いわば「実践知」として、古代からハワイのひとびとの生活を守ってきたものでもあることを思うと、単に宗教的なものだったり信仰として語られたりするものでもないだろう……という印象があります。そんなふうに、身体と精神とを分けるのではない仕方で、人間のありのままが語られたりするところも、ハワイ的な「知」の豊かさといえるのかもしれません。
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