Ilihia au i kou 'ala e Pua Melia e mo*ani mai ana ia'u
愛するひとのいとしい記憶をたどりながら、その面影をなぞるように思いがつづられている……そんなあまくも切ない雰囲気に満ちている『Pua Melia』。まずは「e o* mai 'oe」(答えてください)に続く「e ho'i ho'i mai」(帰ってきてください)というPua Meliaへの呼びかけから、花のようなそのひとは、残念ながらいまここにはいないことがうかがえます*。ですが、そのひとの香りにいまも包まれているような(e mo*ani mai ana ia'u)、そんな気分でPua Meliaに呼びかけてもいるようです。それほど私が心動かされた(ilihia au)そのひとは、いったいどんなひとだったのか―多くを語らないことばの連なりが、逆に一語一語の重みをきわだたせているような、そんな無駄のない描写がなにより美しい作品だと思います。
Ua mae 'oe i ka mili a ka ipo aloha He pua lahilahi
そう、あなたは消えてしまった(ua mae 'oe)。しかもそれは、恋人が(a ka ipo aloha)大切にしすぎたため(i ka mili)だと語られます。繊細な花だから(he pua lahilahi)、そっとふれてあげないといけなかったのに……愛することは、ときに相手を攻撃することでもあるのかもしれませんね。思いのままに相手を求めるときの、あの無限大のエネルギー、あるいは、限りなく死に近いと感じることさえある、生(あるいは性)の衝動の法外さを思えば……。 こんなふうに、愛することにまつわるあれこれが、短いフレーズのなかにギュッと凝縮されているように感じられるのですが、その一方で、愛する対象が「消えてしまった」(ua mae 'oe)原因であるだれかについては、「ka ipo aloha」と、まるでだれでもないひとのようにさらっと語られているあたりが、妙に気になっています。このバース以外のところでは、すべて一人称(あるいはそれを暗示させる)ことばが用いられていることからすると、あれっ?!て感じがするからです。 対象と距離をおいたこの感じは、もしかすると、実際にプルメリアの花を手にしつつ、「こんな姿になってしまって……」なんてことを思いながら、歌のイメージをふくらませたときの作者の気分だったりするのかも……そんなイメージを個人的には思い描いたりしています。たとえば、「大事にし過ぎてなくなってしまった。繊細な花なのに」と歌われるあたりは、道ばたで拾い上げたプルメリアの花の、ちょっとしなびた花びらにそっとふれているような、そんな感じがあるなと……。そう、ハワイといえば、そんなふうにプルメリアに出会うことが実際にあったりもする、感動と幸せに満ちた島なんですね。
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