Aia I 'O*la'a Ku'u Aloha

Aia I 'O*la'a Ku'u Aloha






Kaumakaiwa Kanaka'ole


 僕のいとしいひとは'O*la'aにいる。
 Palaiの葉がふるえる(様子も喜びに満ちて見えたなと、いまになって思うけれど)。
 そうあの場所で、僕たちふたりきりで夜も更けて、
愛を確かめ、そしてときめきに満たされる(ような、そんな仲だったのに)。

 Aia i 'O*la'a ku'u aloha
 Kapalili ohaoha ka lau o ka palai
 A laila ma*ua i ke kulu aumoe
 E walea, e mimilo ana i ka ma*lie

 次へ、また次へと思いが途切れることなく連なっていくようなメロディラインのせいか、かなたへ向けて叫ばれるメッセージが空(くう)に響いているような、なんとも切ない雰囲気に満ちている『Aia I 'O*la'a Ku'u Aloha』。それにしても、なんだかつらいですね。一度は夜が更けるまで(i ke kulu aumoe)愛を確かめあった二人。でも、もうあなたに愛をささやくこともできないなんて*……。そうして行き場を失った思いは、世界の果てにまで届いてもなお、いとしいひとの面影を求めてさまよい続けるのかもしれない……なんてことを思わせる、ぎりぎりに切羽詰まったところがこの歌にはあるように感じられます。

 ねぇ、クチナシの香りのような君(は、いまどうしているんだろう……)。
 たそがれのなかでひときわ輝いていたよね。
 (でも、いったい)誰の手がつみ取っていったんだ?
 そして、あの素敵な花を美しくレイにして(身につけてしまったなんて)。

 'Auhea 'oe e ke 'ala kiele
 E liliko ana i ka mo*lehulehu
 Na wai ia lima i 'ako aku
 A lei a'e i ka nohea o ia pua

 「ねぇ、クチナシ(kiele)の香りのようなきみ」なんて、つい心のなかで呼びかけてしまう僕。きみはもう、ここにはいないのに。それでも、思い起こしてしまうんだ。いつだって、あたりをかぐわしさで満たす花のようだったきみのことを。そう、いまだって、あの香りをありありと感じることができるのに……。2バース目には、そんなセリフが深いため息とともに聞こえてきそうな歌詞が連なっています。「たそがれのなかで」(i ka mo*lehulehu)ひときわ輝いてみえたいとしいひとのあの一瞬の表情、あるいは命のきらめきは、間違いなく僕だけのために輝いていたのに―でもその花は、つまれ、失われてしまったようです。「いったい、どこのどいつがきみを奪ってしまったっていうの?」……全体的には、爆発しそうな思いを精一杯抑えているように思われる語りが連なるなかで、この「Na wai~」ではじまる部分だけは、怒りともあきらめともつかない思いを投げつけているような雰囲気もあります。
 
 鳥の羽で(気高く)飾られた大切なひとに向けて、僕はこうして呼びかけるのです。
 (いまも)鳥ならみな欲しいと思う蜜を求めている(のかなと思ったりしながら)。
 さぁ、飛んでおいで、羽を休めるんだ、そう僕のところで……。
 僕が(こころに)抱くレフアの蜜(のような思いは)、波打つ大海原のよう(に深く激しく、いまも君が戻ってくれることを心待ちにしているのだけれど……)。

 He hea ke*ia i ku'u hoa hulu manu
 E mu*kiki ana i ka wai o ka nui manu
 E lele mai, e pae, e mai e*
 'O a'u wai lehua kai ko*

 ここでは、思いを届けたいいとしいひとのことが、蜜を求める鳥にたとえられています。いまも(蜜を)求めているのなら、僕のところへ飛んでおいでよ、こうして大海原にも負けない大きな(lehuaの蜜のような)気持ちで、いつだってきみを包んであげられるのに……しかも、その愛の海は、大きく波打つ(kai ko*)激しさで、訪れるはずもないひとのことを渇望しているようです。そうして、フェイドアウトしたあともこころに響くメロディとともに、大切な宝物を失った悲しみの深さにどこまでも圧倒されてしまう、そんな『Aia I 'O*la'a Ku'u Aloha』……。
 ところで、このタイトルにも含まれ、「恋人がいる」とされる土地「'O*la'a」とは、いったいどんなところなのかというと……ハワイ島の最も東に位置するPuna地域が、西隣のKa'u*、北側のHiloに接するあたりの内陸にあります。そこには、ハワイのひとびとが大切にしてきた広大な森が守られていて、ほん近くのKa'u*側には、いまも燃え続ける火山、Kilaueaが控えているような、そんな自然あふれる'O*la'aでもあるようです。というわけで、村はあるものの居住地をイメージさせない'O*la'aだったりするところから、「Aia i 'O*la'a~」の部分を、「(恋人が)住んでいる」ではなく、とりあえず「いる」と訳してしてみたのでした。それにしても、どうして'O*la'aなのか? もし、その土地が選ばれていること自体になにか意味があるのだとしたら、「いとしいひとは'O*la'aにいる」なんてどう考えても素朴すぎる歌の冒頭も、なるほど!って感じなのですが……。
 そのあたりを探るために、'O*la'aにまつわるハワイ語の詩的な表現をいくつか調べてみたところ、'O*la'aといえば、どうも「鳥の羽を集めるために猟師が訪れる場所」みたいなイメージがあるようです。たとえば、「'O*la'aに仕掛けられたトリモチは、雨が降るとしっかりくっついて獲物を離さない」。なんのことかと思いそうですが、ハワイ語の世界では、「年がら年中、恋人のことばかり考えているひと」をたとえる表現のようです。異性にもてるひとのことを「'O*la'aで鳥を捕るひと」と表現することもあるようですが、この歌にぴったりなのは、前者のくっつきまくるトリモチのほうでしょうか……。だとすると、「さぁ、飛んでおいで~」(E lele mai~)と鳥に呼びかけ、自分の胸で羽を休めるよう誘っているあたりも、実はやぶの陰から、こっそり自分が仕掛けた罠を見張っているひとがイメージされていたりするんでしょうか……? そういえば、歌の後半にある「ka nui manu」は、一匹の鳥というよりも、鳥たちの群れを連想させる表現でもあることを思うと、なんとなく獲物たちをねらう猟師目線が紛れ込んでもいるような……。そんな、びっくり仰天なイメージのふくらみを楽しめたりするのも、ハワイ語のmeleの魅力なのかもしれません。
 
*:「私たち愛し合いましょう」という、相手への誘いの呼びかけであれば、「ka*ua」が用いられるところですが、ここでは「ma*ua」が用いられていて、私たちが「(かつて)愛し合った」事実を述べる表現になっています。
「ka*ua」「ma*ua」ともに「私たちふたり」という意味ですが、相手への呼びかけ(相手への誘い、あいさつ、etc)に用いられるのは前者。あいさつとして用いられる「aloha」のあとに、「ma*ua」や「ma*kou」ではなく「ka*ua」あるいは「ka*kou」が続くのはそのためだと考えられます。

参考文献
Pukui MK: Olelo No’Eau-Hawaiian Proverbs and Poetical Sayings. Honolulu, Bishop Museum, 1983, p75, 184

by Kaumakaiwa Kanaka'ole
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。