Hiehie ‘uluwehiwehi ku’u home aloha Ku’u home i ka ‘ohu o na* Ko’olau
'Alawa ku'u maka la* i luna I ka pipi’o a ke anuenue
美しくそびえるKo'olauの山々を背に、うっすらとかかる白い霧に包まれたいとしいわが家……そんな光景を想像すると、古きよきハワイの田舎町の風景が目に浮かぶように思われる『Ku'u Home Aloha』。その家がひときわすてきに(hiehie)目に映るのは、生い茂る緑('uluwehiwehi)や霧(ka 'ohu)に包まれているからとしか語られていませんが、なにはなくとも住めば都。大切な家族がともに暮らす家は、もうそれだけで特別な場所なのだと思います。それにしても、ふと見上げると虹がアーチを描いているなんて、いかにもハワイって感じですね。
Mahalo hia'ai au i ka nani O na* kukui ma*lamalama
Ha’ina ‘ia mai ana ka puana Ku'u home aloha o na* Ko’olau
日が暮れて、ひとつ、またひとつとともり始める家々のあかり……ちょっと心細くなる夕暮れ時には、遠くにみえるわが家の光さえ、煌々と輝いて(ma*lamalama)みえたりするものなのかもしれません。というか、わが家はもうあるだけでありがたい(mahalo)―そのかけがえのなさにホントウに気づくのは、それを失ったときなのかもしれないなんてことを思いながら、「mahalo」と歌われることの意味が少しわかったような気がしています。 この歌を作ったBina Mossman(1893-1990)は、21歳のときに女性ばかりのグリークラブを作り、多くの楽曲も残したミュージシャンでした。彼女のグリークラブは、すでに王位を退いていたハワイ王朝最後の王女、Lili'uokalaniに指導を受けるという幸運にも恵まれ、28年もの間、華やかな舞台でその歌声を披露し続けたようです。 Bina Mossmanの経歴を知って意外に思ったのは、彼女が第二次世界大戦中に、合衆国併合後のハワイ議会で、議員の職についていたということ。『Ku'u Home Aloha』の家庭的な雰囲気からは想像できませんが、さすがにその間は、グリークラブの活動は中断していたようです。『Ku'u Home Aloha』で彼女がたどった日常と、混乱をきわめたであろう戦時下の政治の世界……両者の極端な違いを思うにつけ、Bina Mossmanの人柄が気になります。それこそ彼女が残した楽曲をたどるしかないのかもしれませんが、当時の時代背景を考えると、彼女は別の意味でも、あるはざまを生きたひとだったのではないかと思ったりもします。そう、ハワイがその伝統を失いつつある時代にLili'uokalaniに学び、ハワイ語でハワイのこころを歌い続けた彼女ならではの、世界に向けるまなざしみたいなものがあったのではないかと思うんですね。彼女が政治活動に従事していた第二次世界大戦のころといえば、ハワイのネイティブのひとびとが、それぞれにアイデンティテイの異なる多くの移民とともに、否応なく米国の戦争に巻き込まれていった時代でもありました。そんな状況を経験した彼女にとって、ハワイ語で歌い続けることは、ある態度表明みたいなものだったのではないかと……。 そんなことを思うにつけ、やわらかく、ここちよい歌声の向こう側に、声なき声が響いているような気がしてきた、『Ku'u Home Aloha』なのでした。
コメント