Ku'u Home Aloha

Ku'u Home Aloha







 ひときわ美しく緑生い茂る、
 わたしの大切な家。
 いとしいわが家は、Ko'olauの山々(から降りてくる)霧に包まれている。

 ふと(山の)上の方に目をやると、
 そこには虹がアーチを描いていたりもして……。

 Hiehie ‘uluwehiwehi ku’u home aloha
 Ku’u home i ka ‘ohu o na* Ko’olau

 'Alawa ku'u maka la* i luna
 I ka pipi’o a ke anuenue

 美しくそびえるKo'olauの山々を背に、うっすらとかかる白い霧に包まれたいとしいわが家……そんな光景を想像すると、古きよきハワイの田舎町の風景が目に浮かぶように思われる『Ku'u Home Aloha』。その家がひときわすてきに(hiehie)目に映るのは、生い茂る緑('uluwehiwehi)や霧(ka 'ohu)に包まれているからとしか語られていませんが、なにはなくとも住めば都。大切な家族がともに暮らす家は、もうそれだけで特別な場所なのだと思います。それにしても、ふと見上げると虹がアーチを描いているなんて、いかにもハワイって感じですね。

 (そんなわが家での)日々は、なに煩わされることもなく楽しくて。
 さわやかな風が吹いたりするのもいい感じだったりとか……。

 Nanea ka nohona e ku’u home
 Nani i ka makani aheahe ‘olu’olu

 なに煩わされることなく、楽しく過ごす日々(nanea ka nohona)。それを可能にするのが、安心の源である家族と、その生活を守る家(ku’u home)なわけですね。そして、生活(living)といっても、しっかりとある場所に腰を落ち着ける感じが含まれる「nohona」には、家がある土地そのものへの愛着が含まれているように思ったりします。もしかすると、ことさら「ka makani aheahe ‘oluolu」(気持ちよく吹く風)と歌われていることにも、自分が生を受けた土地への特別な思いが表現されているのかもしれませんね。自分のルーツである先人たちの気配を、そこに感じているのではないかとか……。

 あぁ、ありがたいなぁ、なんて思いながら(ながめたりする)。
 あかりが美しく輝いているわが家の姿を。

 わたしのわが家を思う気持ちを、もう一度こころに響かせてみてください。
 Ko’olauの山々に守られている、その大切なわが家(は、かけがえのない宝物なのです)。

 Mahalo hia'ai au i ka nani
 O na* kukui ma*lamalama

 Ha’ina ‘ia mai ana ka puana
 Ku'u home aloha o na* Ko’olau

 日が暮れて、ひとつ、またひとつとともり始める家々のあかり……ちょっと心細くなる夕暮れ時には、遠くにみえるわが家の光さえ、煌々と輝いて(ma*lamalama)みえたりするものなのかもしれません。というか、わが家はもうあるだけでありがたい(mahalo)―そのかけがえのなさにホントウに気づくのは、それを失ったときなのかもしれないなんてことを思いながら、「mahalo」と歌われることの意味が少しわかったような気がしています。
 この歌を作ったBina Mossman(1893-1990)は、21歳のときに女性ばかりのグリークラブを作り、多くの楽曲も残したミュージシャンでした。彼女のグリークラブは、すでに王位を退いていたハワイ王朝最後の王女、Lili'uokalaniに指導を受けるという幸運にも恵まれ、28年もの間、華やかな舞台でその歌声を披露し続けたようです。
 Bina Mossmanの経歴を知って意外に思ったのは、彼女が第二次世界大戦中に、合衆国併合後のハワイ議会で、議員の職についていたということ。『Ku'u Home Aloha』の家庭的な雰囲気からは想像できませんが、さすがにその間は、グリークラブの活動は中断していたようです。『Ku'u Home Aloha』で彼女がたどった日常と、混乱をきわめたであろう戦時下の政治の世界……両者の極端な違いを思うにつけ、Bina Mossmanの人柄が気になります。それこそ彼女が残した楽曲をたどるしかないのかもしれませんが、当時の時代背景を考えると、彼女は別の意味でも、あるはざまを生きたひとだったのではないかと思ったりもします。そう、ハワイがその伝統を失いつつある時代にLili'uokalaniに学び、ハワイ語でハワイのこころを歌い続けた彼女ならではの、世界に向けるまなざしみたいなものがあったのではないかと思うんですね。彼女が政治活動に従事していた第二次世界大戦のころといえば、ハワイのネイティブのひとびとが、それぞれにアイデンティテイの異なる多くの移民とともに、否応なく米国の戦争に巻き込まれていった時代でもありました。そんな状況を経験した彼女にとって、ハワイ語で歌い続けることは、ある態度表明みたいなものだったのではないかと……。
 そんなことを思うにつけ、やわらかく、ここちよい歌声の向こう側に、声なき声が響いているような気がしてきた、『Ku'u Home Aloha』なのでした。

by Bina Mossman

Bina Mossmanについて
http://www.hawaiimusicmuseum.org/honorees/1998/mossman.html
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。