Ua la'i no* au, lae la lae lae, me ka liko ka lehua, lae la lae lae E ho'oipo ana, lae la lae lae, me ke aloha, lae la lae lae
いつも一緒よね、 このわたしとよ。 さぁここへきて、 私の胸のなかへ……。
I ho'opili pa'a, lae la lae lae, no* mi* nei, lae la lae lae Ma'ane'i mai 'oe, lae la lae lae, ma ku'u poli, lae la lae lae
繰り返される「lae la lae lae」が、どうにも抑えられないウキウキした気分を感じさせる『Lae lae』。芽吹き始めたlehuaの葉っぱのような、ステキなパートナーがいっしょだから(me ka liko ka lehua)のようですが、いっしょにいるとホッとする(la'i)そのひととは、愛を交わしあう(ho'oipo)間柄のようでもあります。「さぁ、こっちへきて」(ma'ane'i mai 'oe)と、自分の胸に(ma ku'u poli)相手を引き寄せもするような……。
Ho'okahi pu'uwai, lae la lae lae me ka lo*kahi, lae la lae lae La'i a'i ka nohona, lae la lae lae me ku'u ipo, lae la lae lae
う~ん、手をつないで(kui lima)ホノルルの海辺をお散歩なんて、いかにも恋人同士って感じですね。英語だと「Take care!」になりそうな「ma*lama iho 'oe」については迷うところですが、散歩の途中に交わされたなんてことのないやりとり、たとえば砂浜に足を取られそうになっている相手を気遣うことばではないかと考えて、「気を付けて歩いてね」と訳してみました。それにしても、こころはひとつ(ho'okahi pu'uwai)なんて言い切れるんですから、よっぽど息のあった(me ka lo*kahi)ふたりなんでしょうか。なんにせよ、ステディなパートナーとの信頼関係ほど、日々(a'i ka nohona)、こころの平穏(la'i)を保つためのビタミンはないかもしれません。
Ha'ina ka puana, lae la lae lae a'o ku'u pua, lae la lae lae Ka liko ka lehua, lae la lae lae Na'u e lei, lae la lae lae
前半の、ふたりの世界を謳歌している感じとはうって変わって、ここでは「ku'u mau pua」(わたしの大切な花たち)と複数の花、おそらくつながりの深いひとたちを思いながら、その健康が祈念されているようです。というか、ふたりはすでに家庭を築いていて、「大切なひとたち」と訳した「ku'u mau pua」は、彼らふたりの子どもたちだったりする可能性もあるでしょうか。あるいは、夜明けに現れ(puka i ke ao)輝くもの(ma*lamalama)、つまり日の出は、昨日を明日へとつなぐ未来そのものでもあることからすると、ふたりのこれからますますの幸せを祈る気持ちが表現されているのかもしれません。まだ見ぬ「ku'u mau pua」(大切な子どもたち)が、いつまでも健康に(e ola mau loa)、光り輝く存在であるようにと(ma*lamalama)……。 なんというか、もう生きていることがうれしく、楽しくて仕方ない……といった雰囲気が充満している『Lae Lae』。そんな気分で日々過ごせるよう、ときおり思い起こしてみるのもいいかもしれないと思う、そんな一曲です。
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