Pu*pu* o Kahelelani E hulali nei i ka la* Ka po'okela wale no* O Ni'ihau 'ailana
ゆったりと、思いのままに歩くようなリズムとメロディが、深呼吸するようなおだやかさでもってこころにしみる『Ka Po'okela a'o Ni'ihau』。Ni'ihau島の風景と、そこではぐくまれる貝の美しさがさまざまに描写されていきますが、まず冒頭では、「pu*pu* o Kahelelani」と呼ばれる、ネックレスなどの装飾品の材料として珍重される、赤っぽい小さな貝について語られています。ネットでも「ニイハウシェル」と検索するとヒットする、あの繊細な工芸品に用いられている小粒のビーズのような貝ですね。ですがここでは、「太陽の光で輝いている」(e hulali nei i ka la*)とされるので、店頭に並んでいる商品ではない自然のままのKahelelani、たとえばそれらがまだ砂のなかに半分埋もれながら陽の光をあびているような、そんな光景をイメージしてみました。小指のつめほどあるかないかの大きさで、おそらくそれを集めるには大変な労力と根気を要すると思われるKahelelani。それだけに、それを見つけたときの喜びは格別だったりするのかも……そんなことを想像するにつけ、そのいとおしさがひしひしと伝わってくるようにも思われます。 また、このKahelelani*という貝の呼称は、Ni'ihau島の古代の有名な首領の名前でもあるといいます。そんな特別な名で呼ばれること自体が、島で採れる貝を大切にしてきた、Ni'ihau島のひとびとの思いのあらわれなのかもしれませんね。「このうえない」と訳した「ka po'okela」(the best)には、そんな意味合いがあるのではないかと思ったりします。
Kau aku ka mana'o no* Ka beaty o ka la* welo Aia i moku Lehua Ka momi o ka Pakipika
ここでは、太陽が沈みゆくときの美しさ(ka beaty o ka la* welo)に思いをはせているような、夕暮れ時の気分が歌われているようです。そうして目に浮かぶのは、あのLehua島……Ni'ihau島に寄り添うように浮かぶその小さな島にも、「ka momi」(白いシェル)は育まれているようです。あるいは、「ka momi o ka Pakipika」(太平洋の真珠)という描写からすると、ここではLehua島自身の美しい姿が、「ka momi」にたとえられているのかもしれないと思ったりもします***。
Ua pena 'ia mai i ka la* Ka paeki'i o ke ao E pili'ano ka nani O ku'u lei Kahelelani
まるで太陽がペインティングしたような雲の連なり……おそらくここに描かれているのは、水平線に沈みゆく太陽が、雲を赤く染めるさまではないかと思われます。もしかすると、「ka paeki'i o ke ao」(水平線に連なる雲)に、「ki'i」(イメージ、絵画、彫刻)といった意味をもつことばが含まれていることも、けっこう重要だったりするのかもしれません。というのも、もうだれかが描いたんじゃないかと思うほどに美しい、そんな光景が語られているに違いないと思うからです。そして、その赤い連なりは、Kahelelani(の赤いシェル)の美しさを思わせるところもあるようですね。Ni'ihau島といえば、輝く太陽と美しい貝、はてしない水平線、もうそれしかないって感じでしょうか……。
Puana nei ka ha'ina O ku'u lei hiwahiwa Ka po'okela wale no* O Ni'ihau ailana
のびやかな歌声の向こう側に、太陽に照らされて輝く浜辺の風景や、大海原が広がってみえるような臨場感もあって、聞くとなぜか幸せな気分に満たされる……そんなところがある『Ka Po'okela a'o Ni'ihau』なのですが、CDの歌詞には「目に見えるものも見えないものも含めて、Ni'ihau島の守られるべき宝物を祝福する」といった意味のことばが添えられています。「結局、貝のことしか歌ってないんじゃないの?!」ではなく、目に見えない島の声のようなものへと、じっと耳を傾ける必要があるのかもしれませんね。あるいはそれは、いまはなき先人たちの遺産に思いをはせ、現代人から失われつつある精神性を取り戻すことでもあったりするでしょうか。そうして、私たちの生活のなかにある「あたりまえ」を相対化することで手にすることができる、この世界をはかるためのもうひとつの物差みたいなものがありそうな気がしてきました。 『Ka Po'okela a'o Ni'ihau』は、Kuana Torres Kaheleによる、ハワイの島にちなんだアルバム「Music for the Hawaiian islands」シリーズの第二弾として出された、『Kahelelani Niihau』におさめられているものです。Ni'ihau島といえば、150年前に個人所有の島になって以来、外の世界とは一定の距離を置き、ハワイのほかの島々とは違う独自の歩みを続けてきた島。いわば近代化の流れに巻き込まれることなく存在してきたその島は、電気や上下水道もなかったりする一方で、ひとびとがいまもハワイ語で生活しているという奇跡の島だったりします。そんなNi'ihau島にスポットをあてるにあたり、島を守ってきたひとびとのねばり強さや、純粋なalohaの形を表現したいと考えたKuanaさんは、島の歴史に対して自分なりの応答をしたいと考えたようです****。そこで、まずはNi'ihau島から学ぼうと考えた彼は、島に暮らすひとびとの協力を得て、いくつかのファミリー内で作られ伝えられてきた歌、チャント、フラといったアーカイブを探索したんだとか。もともとあった歌詞だけの歌に彼が曲をつけたものもあれば、その学びを通して誕生した彼のオリジナル曲もあるといいますが、そうして、Ni'ihau島の古い文化に新しい命が吹き込まれた……といったところでしょうか。あるいは、これまでNi'ihau島のひとびとのためだけに歌われてきた思いが、外の世界に向けて発信されることになったという意味では、Ni'ihau文化のあらたな歩みのはじまりともいえるかもしれません。 まずはNi'ihauに学ぶという、Kuanaさんの態度は徹底していて、このアルバムに関しては、Ni'ihau島のひとびとにならったハワイ語表記がなされています。というわけで、CDの歌詞カードにも、いわゆるオキナやカハコーがまったく記されていないのですが、そもそも書きことばとしては存在しなかったハワイ語ですから、アルファベットで表記すること自体が、実は欧米流なわけですね。そうして、自分が発揮しうる力の限りで、Ni'ihau島およびそこで育まれてきた音楽の精神性を伝えたい……アルバムにはそんなふうにも記されています。そして、自分の頭にも心にも(in my head and in my heart)meleを届けてくれたKe Akua(神的存在)に感謝しますとも―そう、meleを理解することは、頭もこころもフル動員して、とことん考え、感じることなんですね。そんなことをあれこれ考えながら、ハワイのひとでさえそうなら決して生半可な気持ちではかかわれないな……と襟を正される思いがした、『Ka Po'okela a'o Ni'ihau』なのでした。
*:文字通りの意味は「王の歩み」(the royal going)。 **:「Ka momi」といえば、真珠(pearl)をあらわすハワイ語ですが、「ka momi o kai」(海の真珠)といわれるときは、白い貝を意味することが多いようです。 ***:ハワイ島から北西方向へ長く連なるハワイ諸島を地図でみると、そのゆるやかに弧を描くさまが真珠や貝をつないだleiのようにもみえるように思われます。 ****:Kuanaさんのことばでは、歴史的な責任を感じた(I felt a historical responsibility)と記されています。
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