No ka Moku Kiakahi ke aloha,la* Ka 'eleu holo i ka moana.
船首が沈むとうしろがあがる。 波が大荒れのときはしっかりつかむんだ。
Lu'u a iho a'e ,pi'i i luna ka hope, E pa'a lima pono i ka palekai!
リズミカルなイプの響きにのせて、開放感いっぱいに歌いあげられる晴れやかな感じから、なにかとてつもない歓びが伝わってくるような、そんな雰囲気に満ちている『No Ka Moku Kiakahi Ke Aloha』。大海原を(i ka moana)勢いよく進む(ka 'eleu holo)「Moku Kiakahi」(一本マストの帆船)は、このだれかにとっての「ke aloha」(love)そのものであると歌われるわけですが、だとすると、このあとに続くさまざまな船の描写は、愛にまつわるあんなこと、こんなことを語るものであるはず―そう、いよいよ愛を求める航海のはじまり、はじまり……といったところでしょうか。
目の前でセールがはためく。 風をめいっぱい受けてふくらんで……。
'O'olopu* na* pe'a kapalili i ka maka, Popohe i ka makani.
マストは強くかたく、天に向けてすっくと立つ。 それは波にぬれて輝く柱。
'O'ole'a ke kia,kuhi a'e i ka lani, Pou nemonemo i ka 'ehu kai.
順風満帆、意気揚々と進む船と、風をはらんでふくらむ帆の様子が生き生きと目に浮かぶ、そんな描写が連なっています。そう、じっとしているときはしぼんでいる帆は、風を受けるといきなり姿を変えるものなんですね。「Kapalili」(ふるえる)は、比喩的にはこころのふるえでもあることからすると、愛の成就に向かって突進するだれかの、感情の高まりなんかも表現されていたりするのかもしれません。一方、たった一本で帆を支えているマストは、あくまでも硬く強く('o'ole'a)、天に向かってすっくと立っている(kuhi a'e i ka lani)……もしかすると、この一本であることにも意味があるかも(?)でしょうか。そう、一本だからこそある一点に向かうことができるわけですから……。
(マストの)下のデッキはギシギシと大きな音をたて、 帆の支えも後ろに傾いている。
'Ui*'ui*,'e'e'ina ka 'oneki o lalo Walawala ka pumi ma hope.
舳先のところでしぶきが舞い上がってる。 波がぶつかる音がすごくて、もうなにも聞こえない……。
Paki*paki* ka maka ihu i ka huleilua A kuli i ka 'a*pohopoho.
Ha'ina 'ia mai ka puana,la* No Ka Moku Kiakahi Ke Aloha.
さぁ、もう一度思い起こしてみて。 大海原をゆく、その勇壮な姿を……。
Ha'ina hou 'ia mai ka puana,la* Ka 'eleu holo i ka moana.
愛の行為を歌う「mele ho'oipoipo」(lovemaking song)にもいろいろありますが、この歌は、なんとなく自分に酔っているような、ナルシスティックな印象があるように思ったりします。というのも、愛の対象はあくまでも自分があやつっている「Moku Kiakahi」であるとされ、愛が向かう相手についての描写はみあたらないからです。というわけで、「どうだい、俺ってすごいよね~」みたいな声が聞こえてきそうな気がする『No Ka Moku Kiakahi Ke Aloha』。四方八方を海に囲まれたときの開放感と、一本のマストに命を預けている緊張感にたとえられたその行為は、冒険することをいとわない者だけにおとずれる至福のときを目指して、あくまでも力強く突き進むのです。
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