Hui E o* mai 'oe, e Poli'ahu, e o* e ka wahine, kau i ka 'iu'iu
ゆったりと連なるリズムと重厚感のあるメロディが、空間を満たすその山の、圧倒的な存在感そのもののように思われる『E O* Mai 'Oe E Poli'ahu』。「'Auhea wale ana 'oe, e Poli'ahu」(listen! Poli'ahu!)と呼びかけたくなるその風景の中心にあるのは、「poli'」(胸)にかける「ahu」(ケープ)という名の通り、その頂きに雪をまとった姿の美しさで知られるMauna Kea(13,796フィート、約4,000メートル)。その凛としたたたずまいに向き合ったときの感動が、あふれるままに表現されているように思われる、情感いっぱいのフレーズがこのあと続きます。
Ke*hau ka pua ma*mane, i ka hikina a ka la*, ka la* ho'opumehana, pili me ke aloha He aloha ku'u 'ike, o ka manu palila, manu ho'oipoipo, lele ho'ole'ale'a
凍える空気に包まれたMauna Keaも、「太陽が昇るそのとき」(i ka hikina a ka la*)だけは、「温かさを連れてくる太陽」(ka la* ho'opumehana)にみをまかせる……。そうして、「つゆにぬれるma*maneの花」(ke*hau ka pua ma*mane)もきらきら輝き、はばたく鳥たちも喜びに満ちて(lele ho'ole'ale'a)、まるで愛を交わしあっている(ho'oipoipo)ようにも思われる、特別な朝のひとときがあるようです。そして、その光景をみるのが楽しみで(he aloha ku'u 'ike)つい仰ぎみてしまう……そんなMauna Keaの風景に、このmeleの作者であるHewett氏は、もうひとつ、ある物語を重ね合わせていきます。
He lei ho'ohali'a, nou e Poli'ahu Ka wahine noho i ke anu,a'o Mauna Kea
さぁ、いまこそ、ふいによみがえる愛の(記憶である)leiをPoli'ahuに捧げよう(he lei ho'ohali'a, nou e Poli'ahu)……。ここで思い描かれているのは、Poli'ahuにまつわるあのストーリー、『La*'ieikawai』のなかで語られる、Kaua'i島の王子'Aiwohikupuaとのエピソードではないかと思われます。その物語のなかでPoli'ahuは、Aiwohikupuaが別の女性(La*'ieikawai)を愛し続けていることを知らないまま彼と恋に落ち、いよいよ結ばれようとするときに真実を知ります。そうして、思いを遂げることもなく愛するひとを失ったPoli'ahuが、ひとときその愛の記憶にこころ温められるとしても、それは深い悲しみや葛藤を乗り越えてこその感情ではないかと思われます*。怒りでもあきらめでもない、おおいなる許しがそこにあるような……。そう思って聴くと、なんどとなく繰り返される「e o* mai 'oe, e Poli'ahu~」のフレーズが、彼女の無念をよみがえらせつつ、その思いを雪山に積もらせているようにも思えてきます。 「私はいつも、雪におおわれたMauna Kea、雪のケープを身につけたPoli'ahu(であるその山頂)を、夢のような気持ちでながめてしまう」。この歌がおさめられたCDの歌詞カードには、Hewett氏のこんなコメントが添えられています。「日の出とともに、ma*maneの木のしずくから、飛び立つpalilaの鳥へと命が新たに伝えられていくのを毎朝ながめることが、(私にとっての)新しい一日のはじまりであり、Poli'ahuのことを深く感じるひとときでもあるのです」(訳、筆者)。そんな、すがすがしく晴れた朝のひとときだけ目にすることができる、静かなエネルギーに満ちたMauna Kea。その姿は、過去を引き受けつつ乗り越えることの大切さを、見るものに思い起こさせるところがあるのかもしれません。そうして訪れるのがホンモノの今日であり、あたらしいはじまりの一日であることを……。
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