Kawaiokalena

Kawaiokalena








 愛すべきは、この山の存在感のすばらしさ。
 雲を突き抜け、すっくとそびえる(あの姿をみよ)。
 (そこは)'Ulalenaの雨に包まれては愛がはぐくまれる場所。
 (やわらかなミストが)ひそやかな流れになって、森の木々のなかを誇らしくただようみたいな、そんな感じ。

 あそこに、雲のかかるあの場所に、(私が)求めるすべてがある(ような気がする)。
 かぐわしさと、雨の恵みに包まれて。

 Aloha ka nohona o ke kuwahiwi
 I ke alo o ka 'o*pua kau kualono
 Mo*hala ke aloha i ka 'Ulalena
 I kiawe ha'aheo i ka nahele

 I laila ka 'ano'i i ka malu o ke ao
 Noho i ke onaona i ka ua

 いつからか、こころの引き出しにそっとしまってある大切な思いを、ひとつ、またひとつ取り出しながらことばが選ばれているような感じがあって、なんとなくmeleが生まれる瞬間に立ち合っているような気にさせられる『Kawaiokalena』。次のバースに登場する場所、Pi'iholoがこの歌の舞台のようですが、ひそやかな'Ulalenaの雨が、誇りに満ちてただよう流れになって(i kiawe ha'aheo)、森の木々のなかを(i ka nahele)ただようなんて、いったいどんなところなんでしょうか……。

 Pi'iholoは虹の輝きでもって微妙な表情をみせる。
 そう、あのKiuの北風に抱きしめられて。
 (そして)虹色にそめられた聖なる雨粒が、まるでleiのように(その場所を)かざる。
 大地を幾重にもおおいながら……。

 Ka*kua Pi'iholo i ka 'o*nohi
 Hoa 'ia e ka makani, he Kiu
 'A'ahu i ka ua lei koko 'ula
 Uhia a ha*li'i lua i ke kula

 Pi'iholoは、Maui島の東側、Ha'iku*地方に位置する山の名前。2,260フィート(約700メートル)とそれほど高くはないものの、Kiu(Kiumoenahele)と呼ばれる北風の通り道であるその場所は、ひんやりとした空気がただよい、雲におおわれたかと思うとふいに'Ulalenaの雨にやさしくつつまれもする、そんな自然にいだかれた(hoa'ia)空間がひろがる場所のようです。そして、ときには、その山肌が虹に(i ka 'o*nohi)いろどられ、色づいた水滴の帯が、まるでleiのようにかかることもある(i ka ua lei koko 'ula)*……。「Ka*kua 」(ドレープ状になった、ひだを寄せる)や、「'a'ahu」(ケープをかける)といった、衣服を身につけるさまを連想させることばも用いられていて、なんとなく、Pi'iholoの山を貴婦人のようにながめているような、そんな雰囲気もあります。

 私の思いはあなたに届いたでしょうか。
 あの山手のひんやりした空気に包まれた君に。
 そう、(ぼくはこの)忘れ得ぬ思いを伝えたかったのです。
 大切なKawaiokalenaに、この歌をささげます。

 E maliu mai 'oe, e ku'u aloha
 Ku'u hoa i ka hau anu o ia uka
 Puana ke aloha poina 'ole
 'O Kawaiokalena la* he inoa
 
 最後に、「聞いてください(listen!)」(e maliu mai 'oe)と、愛するなにものかへの呼びかけ(e ku'u aloha)で締めくくられる『Kawaiokalena』。「Ku'u hoa」とも呼ばれるその愛の対象は、ここまで語られてきたその山の(o ia uka)、ひんやりとした空気につつまれている(i ka hau anu)といいますが、結局、Kawaiokalenaってなにものなんでしょうか……。「'O Kawaiokalena la* he inoa」(この歌はKawaiokalenaに捧げるhe mele inoaです)**なんて締めくくられかたもするので、山の上に住んでるひとなのか?!と思ってしまいそうですが、CDにある作者のことばを読むと、実は「ka-wai-o-kalena」、つまり、Kalenaという名の泉のことが歌われているようです。
そのPi'iholoにあるKalenaの泉は、その昔、旅する貴人(ali'i)がその極上のわき水でしばしくつろいだような、美しくも荘厳な場所だったといいます。そして、そんな何世代にもわたって伝えられ、そこにたたみこまれてきた歴史を感じつつその場所にたたずむときに呼び覚まされる思いが、『Kawaiokalena』には表現されてもいるようです。「ぼくらは、すばらしい宝物みたいなものを求めて世界を旅するけれど、心というか精神的な部分では、いつも先祖たちの歴史がきざまれた場所により所があるものだと思う」(Keali'i Reichel、訳は著者)。こんなふうに、自分のルーツがある場所は、父、母(makua)にはじめて出会った頃の記憶さえ越えて、はてしなく遠い、でもなぜかわが家のようになつかしくもあるような、深く静かな精神の古層へといざなうようなところがあるのかもしれません***。そう、そこではじめて「na* akua」(神々)に出会いもするような……****。おそらく、Keali'I Reichelが「さぁ、われわれが生を受けた場所への愛をともに味わおう。われわれがhomeと呼ぶ、この場所への思いを」(著者訳)と語ってもいる場所は、ひとびと(ka*naka)と神的なもの(akua)との結節点となるような、場所('a*ina)のなかでもとびきり神聖で特別なところではないかと思われます。というわけで、どう考えても、ハワイには美しい風景があるというだけの歌ではなさそうな気がしてきた『Kawaiokalena』。自分が暮らしてきた場所や、そこにかつて生きたひとびととの時間を超えたつながりみたいなものを、これまであまりにも意識してこなかった私ですが、それでも、遠い記憶のなかに確かにある原風景のようなものを思い起こしながら、あれが私にとっての「Kawaiokalena」でもあるだろうか……なんてことを考えはじめています。

*:「Koko」には「血」の意味がありますが、ここでは「ka 'o*nohi」(虹)を受けているので、もう一つの意味、「虹色の」(rainbow-hued)のほうだと思われます。また、虹なら「'ula」(赤い)だけではないのも気になりますが、「koko 'ula」の「'ula」は、王族がその高貴さの印として赤いケープやマントを身につけるのと同じ意味で、「聖なる」(sacred)という意味合いでとらえてみました。
**:「ネームチャント」と訳されることもある「he mele inoa」では、王族や伝説のキャラクターなどを讃える内容が多いようです。
***:同じCDアルバムに収められた楽曲『A Pi'iholo』に添えられた文章によると、Keali'i Reichelは、長年連れ添ったパートナーであるFred Kawaipunahele Kraussとともに、Maui島にあるHa*ma*kuapokoの山手、Pi'iholoの地に暮らしているようです。
****:両親の世代(makua)からさかのぼり、神的な存在として認識される祖先(aumakua、家族の守り神的なもの)さえ超えて、この世界のはじまりを担うようなところに位置づけられるのが、ハワイ語で神的な存在を意味する「akua」です。この「makua」「aumakua」「akua」ということばの連なりのなかにあらわれているのが、系譜(genealogy)をたどったところにこそ真に大切にすべきものがあるという、古代からのハワイのひとびとの考え方でもあるようです。

参考文献
Pukui MK et al: Na*na* i ke kumu 1. Honolulu, Hui H*anai, 1979, pp23-25, 35-37, 118-120

by Keali'i Reichel
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。