Ka'a Na* 'Ale (ハナミズキ)

Ka'a Na* 'Ale







 見上げるきみは、どこか遠くへ思いをはせているよう。
 そんなきみが(いまも)僕を呼ぶ声が聞こえる。
 (だから)よせては返す波が、きっときみを連れ戻してくれる(ように思えてくるんだ)。

 Na*na* i luna
 Ho'olale 'ia 'oe i ka 'a*ina 'e*
 Hea 'oe ia'u
 Na ka 'ale o ke kai e ho'iho'i mai

 一青窈さんによる名曲『ハナミズキ』の、祈るように切々と歌われる雰囲気がそのままハワイ語にのせられているような感じのある『Ka'a Na* 'Ale』。日本語の原曲は、米国で起きた同時多発テロ事件(2001年)を受けたものだといいますが、それにインスパイアされて作られた『Ka'a Na* 'Ale』には、東日本大震災(2011年)への鎮魂歌的な意味合いがあるようです。「Ka'a na* 'ale」(波がうねる)といった、否応なくTsunamiが連想されるタイトルもなるほどって感じですが、その一方で、波が(na ka 'ale o ke kai)君を連れ戻してくれる(e ho'iho'i mai)とは、いったいどういうことなのか……*。それはひとまず置くとしても、私に呼びかけてくる(hea 'oe ia'u)あなたの、空を見上げながら(na*na* i luna)どこか遠くに(i ka 'a*ina 'e*)思いをはせている感じ、どこかこの世のものではない雰囲気からすると……そう、Tsunamiに飲み込まれてしまった誰かだったりするのかもしれません。

 僕のきみへの思いをたくす花。
 それは、いままさに開かんとする(永遠の)花。

 He pua lei ka'u ia* 'oe
 He pua lei e mohala mai nei

 誰かに届けたい大切な思いの象徴として語られることが多いleiですが、その宛先がもうこの世界のどこでもない限り、いま花開く(e mohala mai nei)というよりも、「永遠のいま」を生き続けるような花こそふさわしいのではないか……そんなことを思いながら訳してみました。もっといえば、なによりも「he pua lei」の繰り返しに、丸く連なったleiよりも、leiにする花ひとつひとつが感じられるあたりも重要ではないかと思ったりします。というのも、きっとこの歌の「わたし」は、あなたへの思いをつむぐように、ひとつ、またひとつ花を手にとっては、決して完成することのないleiを編み続けるに違いないのですから……。

 (Hui)
 決してあきらめない……。
 (そんな)思いがふつふつとわき上がってくる。
 (でも)どうか答えてくれないか、僕の大切なきみ。
 その気配は、(いまも)この世界いっぱいに広がっている(というのに……)。
 
 Ku*lia i ka wekiu
 Ka 'i'ini nui a ka pu'uwai
 Maliu mai 'oe ia'u nei, e ku'u lei aloha
 Ho*'a'ala ke onaona
 Mai ka ho'oku'i a ka ha*la*wai

 「高みをめざせ」というところから、「決してあきらめない」と訳してみた「ku*lia i ka wekiu」。ですが、もしこれが、「ka'a na* 'ale」の現場、tsunamiのただなかでのことばだったのだとしたら……つらい状況ですが、正確には「逃げろ!」と訳すべきなのかもしれないと思ったりします。だとすると、先に登場した「きみが僕を呼ぶ」(hea 'oe ia'u)その声も、いとしいそのひとがまさにtsunamiに連れ去られようとするときの、最後のことばだったのかもしれませんし、波の力に負けて、つないだその手を離してしまった瞬間の、声にならない叫びだったかもしれない……。そして、いくら呼んでも、もうきみが答えてくれることはなかったんですね。そんなふうにイメージをふくらませてみると、「ねぇ、きみ、どうか答えてくれないか」(maliu mai 'oe ia'u nei, e ku'u lei aloha)に込められた思いのあまりの重さに、ことばを失う思いがします。その面影が、いまもこの世界いっぱいに感じられる(mai ka ho'oku'i a ka ha*la*wai)**ことこそが、愛する対象の不在そのものなのだとしても、記憶の断片を拾い集めながら、また遠くを見つめてしまう……これ以上に行き場のない思いはないかもしれません。

 日々は変わりなく続いていくけれど、
 いまも聞こえるたくさんの声たちのことを忘れないように。
 そうして僕は導かれるんだ。
 よせては返す波こそが、君と僕とをつないでくれると信じる限り……。

 Ka*'alo mai ka la*
 E ho'olono i na* leo e hea nei
 Na'u e hahai
 'O ka ale o ke kai ke pili ai

 いまも呼びかけてくるたくさんの声に耳を傾けて(E ho'olono i na* leo e hea nei)……この最後のバースには、あなたの声だけでなく、多くの失われた命を思い続けたいという、誓いとも決意ともいえるような思いが表明されているのではないかと思われます。それともう一つ、もう一歩も前に進めなくなったひとを励ましてくれるのは、どんなことがあっても日はまた昇るという、あまりにあたりまえのことだったりすることも……。うれしいときも、悲しいときも、誰にいわれるでもなく太陽は朝を連れてきて、昼と夜を繰り返しながら、いつの間にか季節はめぐっていきます。そんな、ひとたびもその営みをやめることなく続いていく大いなる力の象徴として、よせては返す波をイメージしてもいいかもしれません。あるいは、さまざまに姿を変えながらこの地球上を循環し続ける水の、永遠の旅の道行きのはてしなさとか……。そして、私は(na'u)つき従います(e hahai)と、強い仕方で宣言されるその対象は、そんな自然の理(ことわり)にも似たなにものかであるようです。名付けると同時にことばを逃れていく、そんなとらえがたいものではあるけれど、信じることでそれと感じることができるその力こそが、きみと僕とをつなげてくれるはずだから(ke pili ai)***―そう、いわばここでは、「波の営み('o ka ale o ke kai)」が、希望の象徴のように語られているんですね。きっとまたきみをここへ連れ戻してくれるはずだ(na ka 'ale o ke kai e ho'iho'i mai)という確信とともに……。命も、魂も、必ず元の場所に戻ってくると信じるひとの、信仰とも祈りともいいがたいまっすぐな思いが、この歌の一番のメッセージなのかもしれません。
 多くの命も生活も、すべてを飲み込んでしまったtsunami。あの惨事は、もの言わぬ自然の営みこそがこの世界であり、わたしたちの日々の暮らしもその繰り返しの一部分であることを誰もが思い知らされた、そんな出来事だったのかもしれない……早くも薄れつつある数年前の記憶をたどりながら、わたしたちにとってホントウに大切なことを見失わないようにと強く思わされもした、そんな『Ka'a Na* 'Ale』なのでした。

by Kuana Torres Kahele

*:原曲の『ハナミズキ』にも、「船がしずんじゃう」とか、「お先に行きなさい」と先に船に乗ることをうながすような歌詞が含まれていて、なんとなく水難を思わせるところがあったりします。そのあたりも、東北の震災とこの歌が結びついた理由なのかもしれません。聞くところによると、一青窈さんは映画『タイタニック』のイメージと「9.11」の現場を重ね合わせていた、という話もあるようです。
**:文字通りの意味は「天空から地平線(水平線)まで」。
***:「Ke pili ai」は「ka mea e pili ai」が短くなったもの(ka mea e→ke)。また、「e 動詞 ai」は未来をあらわす関係節の表現であることから、「よせては返す波が(僕ときみとを)つないでくれますように」という、未来への希望として訳しています。
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。