Pua mai ke aloha,kau i ka maka E ake au e inu i ka wai o ke*ia pua 'O ku'u lehua i luna ka'u e lei a'e nei
目を閉じて、自分のこころのなかを静かに見つめながら、とっておきのことばを紡いでいる……そんな繊細さをそこかしこに感じる『Lei O Pi'ilani』。この花の蜜を「飲みたい」(e ake au e inu)という、こころの渇望を思わせる表現に、まずはlehuaの花にたとえられる誰かに向かう、あふれんばかりの思いの強さがうかがえます。と同時に、その花を高いところに(i luna)見上げている感じもあるところからすると、あこがれや尊敬に近いものがあるのかもしれないと思ったりもします。
E ka wai puna hoa 'inau 'Awaia*ulu no* ke aloha 'O 'oe ka 'i'ini a ka pu'uwai 'O 'oe ku'u lei e*
「ぼくはいつもきみを探している」(ke huli nei au ia* 'oe)……前半に、いつも身につけているleiにたとえるような表現が続いていたことを思うと、対象との距離が感じられるこの繰り返し(hui)の部分は、少し意外な印象があるように思ったりします。もっとも、相手のことを深く知ろうとすればするほど、あるいは求めれば求めるほど、するっと両の手をすり抜けていく……そんなもどかしい感覚は、対象との距離にかかわりなく感じるものなのかもしれません。そう、大切なひとであればあるほど、わかったつもりになれないなにかがいつも残ってしまうもの。もしかすると、画家が繰り返し同じ対象を描くときのくるおしいような思いは、ちょうどこんな感じだったりするのかも……なんてことを思いながら、作品を生み出すエネルギーというか、こころの動きをなぞっているような気がしてきた『Lei O Pi'ilani』なのでした。
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