I Call Him Lord

I Call Him Lord







 罪をあがない、世界を救いたまう。
 そんなすばらしき導きの主は、
 明け方に輝く星のよう。
 
 Master redeemer
 Savior of the world
 Wonderful counselor
 Bright morning star

 谷間のゆりと語られ、
 万物の創造主であり友でもある。 
 そう、彼こそ過ぎた日であり、明日(への希望)。
 始まりであって終わりでもあるような……。

 Lily of the valley
 Provider and friend
 He was yesterday
 He'll be tomorrow
 The beginning and the end

 彼は過ぎた日であり、明日(への希望)。
 (つまり)未来永劫よみがえる、そんな存在なのです。

 'O ia i nehinei
 'O ia 'apo*po*
 Ua ho'i a mau loa

 高らかに歌い上げられる厳かな雰囲気に、思わずいずまいを正されるような気がする『I Call Him Lord』。ところどころに響く「Jesus」(イエス)から、宗教的な内容が歌われていることがわかってくると、もう次の瞬間には、天にも届きそうなハーモニーの美しさとともに、記憶のなかにある教会のたたずまいや、いつかみた宗教画が目に浮かんだりもして、音楽の力ってすごいなぁと思ってしまいます。と同時に、これは生半可な知識では訳せないなと、いつになく足がすくんでしまうところもある……というのも、「bright morning star」とか「lily of the valley」といった、中学英語で訳せるようなフレーズも、聖書に登場するイエスをあらわすことばだったりするからです。それに、イエスは「昨日であり、明日でもある」とか、「始まりであり終わりでもある」なんて謎解きみたいな歌詞も、とてつもなく深いなにかが表現されている予感がしますし……。そして、終わりから始まるといえば、イエスの復活というのもありますね。「Ua ho'i a mau loa」(永遠に戻ってくる)というあたりが、この信仰について語られている部分でしょうか。
 人間の罪をあがなうべく選ばれた存在(master redeemer)とされるイエスは、創造主(provider)であるとともに友(friend)でもある……そう、特別な存在でありながら、彼もまた固有名をもつひと、いわば「イエスという男」でもあるわけです。そんな、同時に持ち得ない属性を備えている彼だからこそ、「昨日であり明日」「始まりであり終わり」でもあるような、そこからすべてがはじまる世界の結節点足り得る、ということではないかと思ってみたり……。

 天使たちは彼を呼ぶ、Jesusと。
 彼は聖母からお生まれになった。
 天使たちは彼を呼ぶ、Jesusと。
 でも私は、あなたをLordと呼びたいと思う。

 The angels call him, Jesus
 He was born of the Virgin
 The angels call him, Jesus
 Oh, but I call him Lord

 天使ガブリエルによって、イエスを身ごもったことを告げられる聖母マリア……ここでは、長い聖書の物語のなかでも、大きなクライマックスのひとつといえそうな、「受胎告知」のエピソードがモチーフになっているようです。
 歌詞にもある処女懐胎がそもそもあり得ないことですが、そうして天なる父とマリアのもとに地上に生まれ、天使たちがその訪れを告げもするイエス。そんなあなたのことを、私は「Lord」と呼ぼうと思う……ここでは、そんな信仰告白的なことがなされているようです。つまり、イエスは、地上にありながら「Lord」(偉大な神)と呼ぶべき存在なのだと宣言されているわけですね。そうして、歴史的(昨日、過去)に存在し、復活の物語のなかで未来(明日)を生み出すイエスは、「始まりも終わりもない」といってしまうとたちまちより所を失うこの世界に、たしかな手応えと未来への希望を与えてくれる―そんなキリスト教的な世界観が、短いことばの連なりに凝縮されているのではないか……と、私なりに解釈してみました。

 救世主(として待ち望む神)エホバ。
 偉大な神であり王……。
 そう、彼こそが命の糧であり、
 永遠(に続く真理の)ことばであり、
 愛そのものだと思う。

 Jehova Messhiah
 Mighty God and King
 He is the bread of life
 He is the lasting word
 The love that I see

 暗闇を照らす光。
 天に向けて開かれたとびら。
 理想の世界にある、私のこころのふるさと。
 彼は命の水を生み出す泉のようなもの。
 そう、決して尽きることのない、永遠の源なのです。

 The light of darkness
 Door to heaven
 My home in the sky
 He is the fountain of living water
 That never shall run dry

 (彼が生み出す)導きの道は、命の水のありかからあふれだすもの。
 (そう、われわれの)乾きを満たす水は、決して尽きることのないものなのです。

 Pua'i 'o ia ala
 No ka wai ola
 He malo'o 'ole kena wai

 救いを求めるひとびとの思いを乾きにたとえ、それを満たすものとしての教えを水に、そしてイエスの導きを泉からわきだす永遠の流れにたとえているあたりは、水の循環がKa*ne(ハワイの四大神のひとつ)の物語として語られる、ハワイ古来の神話にも通じるように思ったりします。そんな土着の神々への信仰に上書きされる仕方で、約200年の間にキリスト教的な価値観が浸透するに至ったハワイ。ハワイ独特の受容があったと思われるうえに、そもそも信仰としてのキリスト教をちゃんと理解していないことが、ここまで書き進めてもなお引っかかっています。それでも、なんだかわからないとてつもない迫力に、父、子、聖霊という別々の実体(と考えられているもの)を、エイヤ!でひとつにしてしまう、三位一体にも似た有無をいわせぬ雰囲気を感じた、『I Call Him Lord』なのでした。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。