Ko*'ele i ka la'i o ka ua li'ili'i Ua 'ike maka au i kou nani 'O kou mau maka onaona i ka uka 'iu'iu 'O kou leo i ka makani a ke aloha
圧倒的な風景の美しさを前にして、ことばを失うほどの感動にふるえるひとの思いがストレートに伝わってくるような気がする『Lei Ko*'ele』。「霧のおだやかさに」(i ka la'i o ka ua li'ili'i)包まれているという表現に、あたり一面、白くもやにおおわれているような光景が目に浮かびますが、そのまちKo*'eleは、La*na'i島の中央部、山に囲まれた盆地の縁のあたりに位置します。「見あげるあたり」と訳した「ka uka 'iu'iu」は、おそらく、そんなロケーションにあるKo*'eleをとりまく峰々が、空と出合うあたりだと思われますが、そこにかかる霧、あるいは雲が、「あなた(Ko*'ele)のまなざし」(kou mau maka)と表現されているのは、Ko*'eleといえば霧を見あげる風景を思い起こさずにはいられない、といったニュアンスでしょうか。そしておそらくその霧は、まるで夢みるようにゆっくり流れているのではないかと思ってみたり……そう、島に宿るこころ(aloha)のささやきにたとえたくなる繊細な風の流れが(kou leo i ka makani)、いただきにかかる雲の形をそれとわからないほどのスピードで変えていく……。そんな雄大な自然を見晴らせる、とびきり気持ちのいい場所に立った気分にさせられる描写だと思います。
Lei kauna'oa o La*na'i I ka wehi o ka 'a*ina nei Hanohano wale no 'oe Lei ana i ka ua noe Lei Ko*'ele i ka ua Hoapili o Maunalei Huapala o Keo*muku Ke aloha o Kolo’iki
「La*na'i島といえばkauna'oa」と歌われる「kauna'oa」は、葉がないツル植物で、ほかの植物に寄生し乾燥にも強いという、降水量が少ないLa*na'i島ならではのハワイ固有の植物種です*。そんなLa*na'i島の自然そのものといえるkauna'oaのleiが島の象徴であり、もやのかかる山々に取り囲まれているKo*'eleについていえば、まるで霧のleiをまとっているようにみえるその姿こそが、この土地のとびきりの美しさ(ka wehi o ka 'a*ina nei)だと歌われているわけですね。そしてこのバースには、Ko*'ele以外にもLa*na'i島の地名がいくつか登場し、なぜかひとにたとえるような仕方で描写されていたりします。しかも「hoapili」(親しい友?)とか、「huapala」「ke aloha」(恋人?)といった、Ko*'eleと親しい間柄にあると言いたげなことばが選ばれていて、いまいちピンとこないのですが、手がかりとしてそれぞれの地理的な位置関係をみてみたいと思います。 まず、その名から峰にかかるleiのような雲を思わせる「Maunalei」は、Ko*'eleのあたりからすると、北東方向に長く連なる渓谷です。そして、Ko*'eleからMaunaleiに向かうのが、「Kolo'iki」の名を冠するトレッキングルート**。それを最後までたどると、MaunaleiがNa'io渓谷と向き合い、海に向かって連なる風景を見渡すことができます。そして、その先に見えるのが、なんとLa*na'i島の北東側に浮かぶ、Molokai島とMaui島なんですね***。世界観が変わるほどの絶景が想像されますが、山歩き目的でLa*na'i島を訪れるひとなら、必ず立ち寄りたいと思う人気スポットのようです。 このKolo'iki Rige Trailは、Maunaleiに向かう途中で南東に続くMunro Trail(約7マイル、11キロメートル)とつながっていて、La*nai島の最高峰「La*na'ihale」(3,366フィート、1,026メートル)がそびえるあたり向かうことができます。地図でみると、La*na'ihaleに至る手前の所で、ちょうどKeo*muku方向を見わたせるポイントがありそうで、このあたりは、ぜひ実際に訪れて確かめたいところですが、隣の島がみえるんですから、あり得ない話ではないような気もします。 こんなふうにたどってみると、「Maunalei」「Keo*muku」「Kolo'ik」という三つの地名は、それぞれに山歩きというキーワードでKo*'eleにつながっていることがわかります。そして、山小屋があるKo*'eleは、これから向かう別世界を夢見ながら、こころ躍る思いで旅人たちが集う場所でもあるはず。もしかすると、三つの地名とKo*'eleとの「親密な関係」という表現は、そんな旅するひとたちの、Ko*'eleから始まる道行きへの期待感を暗示するものだったりするのかもしれません。
Aloha ku'u home 'o La*na'i ki'eki'e 'Olu'olu wale no* ka wai o ke ola 'Ike au i ka nani o ke Akua mana loa Noho ana i ka poli o na* 'o*iwi
「Aloha ku'u home」(愛すべきわが家)なんてフレーズから、故郷への思いが歌われているのかと思ったのですが、この歌を作ったDennis Kamakahiは'Oahu島のひとで、La*na'iで生まれ育ったわけではないようです。それでも霧に包まれたKo*'eleを目のあたりにして、「ふるさとのような安らぎ」を感じたのはなぜなのか……。このあたりについては、「ka wai o ke ola」(命の源である水)なんて表現もあって、単に美しい風景にうっとりしただけではないことがうかがえます。さらに、その土地の美しさは「o ke Akua mana loa」(偉大な神に備わった)ものだともされていて、なんとなく、大いなる自然の恵みに対する感謝や、畏敬の念みたいなものも感じられます。そして、そんな信仰にも近い思いは、「i ka poli o na* 'o*iwi」(この土地に根を張るひとびとのこころに住まう)とも……。La*na'iを訪れた立場でありながら、その土地ならではのなにかを深く感じ取り、真摯な態度でことばをつむごうとしていることがうかがえますが、いったい彼は、なにを感じていたんだろう?と思うと、先に進めなくなるところは正直あります。そう、同じ風景をみても、ひとそれぞれに感じることは違うわけだし……そんなことを思うにつけ、ことばをたどる以上に、直接的に語られていない部分を感じることが求められているような気がしてなりません。 ところで、霧や雲におおわれた風景描写が多くて、雨に濡れる木々さえ連想される『Lei Ko*'ele』ですが、Ko*'eleからトレッキングルートをたどった風景を写真でみると、乾いた山肌が赤くむき出しになっていたりもして、豊かな水量をたたえた地域では決してないことがわかります。それに加えて、熱帯雨林のジャングルを思わせる風景もなく、それどころか針葉樹の林が広がっていたりもするあたり、どうもLa*na'i島ならではの自然条件というか、事情(?)がありそうです。 La*na'i島の降水量が少ないのは、水分を含んだ北東方向から吹く風が、Molokai島とMaui島に雨を降らせてからやってくるためです。そう、晴れた日にはMolokai島とMaui島が眺められるほどの位置にあることが、その一番の原因なんですね。そんな、もともと雨が少ない気象条件に加えて、サトウキビ栽培や牧畜が盛んだった時代を経た開発のダメージから乾燥が進み、荒れた土地が広がっている地域も少なくない状況にあるといいます****。 一方、歌詞に登場するKeo*mukuは、19世紀末にはサトウキビ農場、20世紀になってからは牛や羊を飼う牧場の本部が置かれたところでもありましたが、20世紀半ばには牧場もすたれ、その住民の多くはKo*'eleもある島中心部に移住したようです。Dennis Kamakahiが、そんな島の負の歴史の象徴でもあるまちのことを思い起こしていたかどうかはわかりませんが、ひとつだけKo*'eleから離れた土地が選ばれているのは、そういう理由からなのかもしれないと思ったりします。 そして、なぜかLa*na'iに多い針葉樹(pine tree)ですが、なんでもそれらは19世紀末からはじまった植樹によるものなんだとか。そして、Ko*'eleにも通じる道の名前である「Munro」は、植樹を積極的に推進したひとの名にちなんでつけられたものだといいます。牧場のマネージャーだったMunroは、針葉樹の葉が空中をただよう霧から水分を取り込む様子をみて、限られた水資源を活用するための植樹を思いついたとされています。つまり、La*na'i島ならではの水の循環過程を、霧に包まれる風景のなかに感じ取ったわけですね。そして、『Lei Ko*'ele』にある「ka wai o ke ola」(命の源である水)という表現には、Munroの自然へのまなざしに近いものが感じられるように思ったりもします。そう、単に風景の美しさにこころ奪われたのではなく、人間の力をはるかに超えた、自然の大いなる摂理のようなものに圧倒されたのではないかと……。そんなことをあれこれ考えめぐらせながら、いつか行ってみたい場所がまたひとつ増えたなと思う、『Lei Ko*'ele』なのでした。
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