Kaha Ka Manu

Kaha Ka Manu





 鳥が天空を舞い、太陽がさえぎられる。
 そうして島々は真っ暗になり、深い、深い闇に沈む……。

 Kaha ka manu, pa'a ka la*
 Po*'ele na* moku, po*uliuli

 大きく翼をひろげ、天空を舞うように飛ぶ鳥。その影がさしたように、たちまち闇(po*'ele)におおわれはじめる島々(na* moku)と、動きも止めたように(pa'a)その姿を一変させる太陽(ka la*)……そんな、思わず息をのむ天体ショーのはじまりを見るように思われる『Kaha Ka Manu』。Kawaikapuokalani Hewettによるこの楽曲は、ハワイの島々が深い闇(po*uliuli)におおわれた日食の光景に、神話の世界を重ね合わせて歌われたものだといいます。

 Haluluが月の際のところに向かう。
 そう、(あの巨大な)鳥が、自ら太陽をさえぎったのです。
 そしてこの歌は、偉大なるあのお方、
 Kekauhiwa'o*nohimakaolonoをたたえるべく歌われる……。

 Hui
 Halulu i ke kihi o ka ma*lama
 Ka manu na*na i pani i ka la*
 He mele, he inoa no ke ali'i,
 Kekauhiwa'o*nohimakaolono

 「Halulu」は、ひとを襲うこともあるとされる伝説上の巨大な鳥。しだいに月が太陽に重なっていくさまを、大きくはねを広げる鳥が天空をとぶ幻想的な光景になぞらえているわけですが、「鳥が太陽をさえぎる」(ka manu na*na i pani ka la*)という表現があまりに大胆過ぎて、その想像力のたくましさにただただ圧倒されてしまいます。人間と違って空を飛ぶことを日常とする鳥たちにしても、月や太陽には決して届くことはないわけですが、Haluluは特別な鳥ですから、そんな遠い領域と人間の世界とをつなぐ、一種のメッセンジャー的な役割を担う存在として意識されているのかもしれません。そう、地をはうようにしか生きることができない人間にとって、大空をかけめぐる鳥たちは、もうそれだけであこがれの対象であり、より神的なものに近い存在でもある……動植物をはじめ、さまざまな自然の事物を神的なものになぞらえて物語をつむいだ、そんな古代のハワイのひとびとの感性があらわれているようにも思えるはてしなさが、どうもこのmeleにはそなわっているようです。

 まさに目をみはる(べき光景)、もう畏敬の念がからだじゅうをかけめぐるよう。
 驚くべきこの闇の世界が、むくむくと天空にひろがっていく……。

 Ilihia au ke 'ike aku
 Ka po* kupanaha i ulu i luna

 幻想的な光景を目のあたりにし、世界の終わりのような空気に包まれながら感じること―それはたとえば、人間の力の及ばない領域にある大いなるもの、信仰の対象という以上に畏れそのものでもあるような、それと名付けがたい何ものかではないかと思われます。そしてここでは、「ulu」(grow、育つ)というハワイ語に、「神的なものにとりつかれる」「精神的にインスパイアされる」という意味があることを思い起こしておくべきかもしれません。そう、「ka po* kupanaha」(驚くべき闇)とは、ことばで表現しうる知を超えた驚きであり、そこからあるインスピレーションがむくむくとわき上がってもくる、そんな空間ではないかと思うんですね*。

 いまこそHinaの女神は、(夫である)Ka*neokala*と向き合い(ひとつになる)。
 そう、この神聖な闇の世界こそ、神々の婚姻にふさわしい……。

 Alo lua Hina me Ka*neokala*
 He po* kapu 'ia, ho'a*o na* akua

 月に象徴される女神Hinaが、太陽であるKa*ne(Ka*ne-o-ka-la*)と向き合っている(alo lua)……ここには、月が太陽にぴたっと寄り添って見える、息をのむような日食のクライマックスそのものが表現されているようです。と同時に、いまここに現れている神聖な闇(he po* kapu 'ia)こそが、神々(na* akua)の婚姻(ho'a*o)がとり行われている印でもあると語られるわけですね。そして、そんな特別な結びつきから生まれたとされるのが、huiのところに登場しこの歌がささげられる対象でもあるKekauhiwa'o*nohimakaolonoです。「Ke-kau-hiwa- 'o*nohimaka-o-lono」は「黒々と存在するLonoの瞳」とも訳せそうですが、闇に覆われ、まるで終わりを迎えたようにも思えた世界が、再び光を取り戻していくことが表現されているのであれば、その瞳は生まれ変わったように姿を現した太陽そのものではないかとも考えられます。そう、終末と再生の物語が目に見える仕方でこの世にあらわれを持つ、そんなとてつもなく神聖でことばを超えた出来事として、Hewett氏は日食という現象をとらえたのではないか……。そして、その一瞬のあらわれを神々の婚姻にたとえているあたり、人間の力を超えたなにか大きな存在を、このうえなく喜ばしいものとして迎え入れているような雰囲気もあります。そう、人間の知に取り込む手前のところで、驚きに身を任せる体験から得られるなにかがあるのではないか……そんな、科学の知とは別の仕方で世界をみつめる、もう一つのまなざしの可能性が指し示されているようにも思えてきた『Ka Haka Manu』。かつて先人たちが生きたであろう神話の世界に、少しだけ触れたような気持ちにさせられる、壮大な世界観に支えられたmeleのようです。

by Kawaikapuokalani Hewett

*:ハワイ語で「夜」「闇」をあらわす「po*」は、「ao」(昼)と対になることば。比喩的には「ao」が人間の理性や知の領域であるのに対して、「po*」は人間が存在する以前の世界や、人知がおよばない領域を意味します。

参考文献
1)Martha Beckwith: Hawaiian Mythology. Honolulu, University of Hawai’i Press, pp91-92, 1970
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。