Na ke Akua e ma*lama mai ia* 'oe Kou mau kualono aloha nei Kou mau kahawai 'o*linolino mau Kou mau ma*la pua nani e*
前半部分同様、ここでもハワイに向けてのメッセージが語られています**。ただし、前半では「'oli no* au」(私は祝福する)とされ、「ku’u」(私の)が多用されるなど「わたし」の立場から語られていたのに対して、後半でハワイに向けて語る(e ha'i mai)主体は「ハワイのひとびと」(kou mau kini)(kou mau kupa)であり、「お守りください」(e ma*lama mai)とされる対象もハワイの山々や水辺、花々(kou mau kualono)(kou mau kahawai )(kou mau ma*la pua)であって、「私の大切な故郷」(ku'u one ha*nau)ではありません。いわば、ハワイを「ku'u one ha*nau」(故郷)と呼ぶハワイ人の「わたし」と「ハワイ」との関係を、外からながめている第三者の眼差しが登場しているわけですが、それこそが作者であるLorenzo Lyonsの立場ということになるでしょうか。 Lorenzo Lyonsは、900以上もの賛美歌をハワイ語に訳したひとで、『Hawai’i Aloha』もそんな歌のひとつであると考えられています。もっとも、讃美歌であれば、呼びかける対象は神(ke Akua)であるはず。『Hawai’i Aloha』にも「神によって」(na ke Akua)ハワイが守られますようにというくだりで神が登場しますが、全知全能の神が讃えられたり、その存在を信じることで永遠を担保しようとする構えは後退している印象で、まるで神の占めるべきポジションがハワイに置き換えられたのかと思うほど、「e Hawai'i」とハワイへの呼びかけが繰り返されています。Lyons(Makua Laiana)は、1832年に合衆国からやってきて、1886年になくなるまでの半世紀以上をハワイで暮らした宣教師。そんな彼ですから、長年、布教を続けるなかで、おそらくハワイ的なキリスト教の受容のありかたを理解していたはずで、『Hawai’i Aloha』にもその知見が反映されているのではないかと思ったりします。たとえば、ハワイを最大限に讃えたうえで、それを守るものとして神が登場するあたり、あくまでも上位にあるのは神なわけですが、キリスト教徒であるとともに「Hawai’i aloha」(愛すべきハワイ)に対しても敬虔な態度で祈りをささげるハワイのひとびとに合った信仰のあり方みたいなものがこの歌に表現されていると考えると、聖なるものが複数同居していることも、なんとなく納得できるような気がしてくるんですね。あるいは、50年も暮らしたハワイですから、Lyons自身もハワイのことを故郷として大切に思っていた可能性もあるでしょうか……。そんなことを考えたりしながら、異文化が出合うところに誕生した奇跡の1曲が、この『Hawai’i Aloha』なのかもしれないと考えはじめています。
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