Hawai'i Aloha

Hawai‘i Aloha






 ハワイよ、私が生まれ育った島よ。
 先祖代々暮らしてきた大切な故郷。
 私はあなた(ハワイ)が与えてくれる祝福に包まれる幸せを歌う。
 愛するハワイに向けて。

 E Hawai'i, e ku'u one ha*nau e*
 Ku'u home kula*iwi nei
 'Oli no* au i na* pono lani ou
 E Hawai'i aloha e

 ハワイの若者たちに幸多いことを願って、
 喜び祈りましょう!万感の思いを込めて……。
 この(気持ちよく)吹き抜ける風が続きますように。
 ハワイが(未来永劫)健やかでありますように。

 E hau'oli na* 'o*pio o Hawai'i nei
 'Oli e*! 'Oli e*!
 Mai na* aheahe makani e pa* mai nei
 Mau ke aloha no Hawai'i

 ハワイを愛する思いが、美しいメロディにのせて高らかに歌い上げられている、そんな印象のある『Hawai’i Aloha』。ハワイアンコンサートやフライベントなどの最後に歌われることも多く、日本でもよく知られているハワイアンソングのひとつです。それにしても、いきなり「ハワイよ、私が生まれ育った故郷よ」ではじまるこの歌を、日本人が歌うってどうよ?と思わないでもないですね。しかも、この歌を作ったのは布教のために合衆国からやってきた宣教師だったと聞いて、そもそものところからなにかがねじれているのかも?なんてことを思ってみたり……。そのあたりになにか事情があるような気もしつつ、誰が、誰(なに)に向かって、どんな思いを歌っているのかを、いまいちどたどってみたいと思います。
 まず、最初のバースは、「e Hawai'i」というハワイに対する呼びかけではじまって、また同じフレーズで締めくくられます*。このことは、メッセージの宛先がハワイであることを示しているわけですが、このバースには伝えたいメッセージの内容も歌われていて、「'oli」(喜び祝福する) の目的語「na* pono lani ou」の部分がそれにあたります。さらっと訳すと「聖なるあなた(ハワイ)の」(lani ou)、「na* pono」(正しさ、秩序)になりそうですが、もう一歩踏み込んでそこからイメージすべき内容を具体的に考えるとすれば、「正しさ」(righteousness)を意味するハワイ語の「pono」が手がかりになるのではないかと思われます。
「Pono」は、トップダウンで適応される正義というよりも、まずは全体としての「調和」をあらわすことば。たとえば、あらゆることがしかるべき仕方で行われ、結果的に美しくバランスがとれているような状態を指します。具体的には人間関係から部屋の片づけまで、あらゆる場面に用いられますが、ここでは「聖なるハワイの」という形容がなされているので、ハワイの自然をイメージしてみてはどうかと考えてみました。たとえば、空気の循環が雲を生み、雨を降らせて流れとなった水が、再び海へと帰っていく……そんな、人間の力を超えたところにある大きな秩序です。そうして多くの命を育んできた大地が「ku'u one ha*nau」(私が生を受けた土地)であり、「ku'u home kula*iwi」(骨を埋める故郷)でもあるわけですね。こんなふうにたどってみると、やや唐突な印象の「気持ちのいい風が吹いている」(mai na* aheahe makani e pa* mai nei)というフレーズも、単なる飾りではないように思えてきます。おそらく、ハワイの自然に抱かれ暮らしていること自体が喜びであり、そんなハワイへの感謝の気持ち(ke aloha no Hawai'i)がわき上がってくるのも、風のそよぎに人知を超えたなにものかの気配を感じるときではないかと……。
 イベントなどで歌われるのはここまでですが、原曲には次のような後半部分が続きます。

 ハワイのあらゆるひとびとが(思いを)口にする。
 この土地の愛すべき住人たちからハワイに向けて。
 天からは驚くべき輝きが降り注ぐ。
 愛するハワイよ……(と思いをはせながら)。

 E ha'i mai kou mau kini lani ou
 Kou mau kupa aloha, e Hawai'i
 Na* mea 'o*lino kamaha'o no luna mai
 E Hawai'i aloha e*

 神のおぼし召しによって、ハワイが守られますよう。
 愛すべきその尾根の連なり、
 水辺の輝き、
 そして、美しい花々が咲き誇る風景も……。

 Na ke Akua e ma*lama mai ia* 'oe
 Kou mau kualono aloha nei
 Kou mau kahawai 'o*linolino mau
 Kou mau ma*la pua nani e*

 前半部分同様、ここでもハワイに向けてのメッセージが語られています**。ただし、前半では「'oli no* au」(私は祝福する)とされ、「ku’u」(私の)が多用されるなど「わたし」の立場から語られていたのに対して、後半でハワイに向けて語る(e ha'i mai)主体は「ハワイのひとびと」(kou mau kini)(kou mau kupa)であり、「お守りください」(e ma*lama mai)とされる対象もハワイの山々や水辺、花々(kou mau kualono)(kou mau kahawai )(kou mau ma*la pua)であって、「私の大切な故郷」(ku'u one ha*nau)ではありません。いわば、ハワイを「ku'u one ha*nau」(故郷)と呼ぶハワイ人の「わたし」と「ハワイ」との関係を、外からながめている第三者の眼差しが登場しているわけですが、それこそが作者であるLorenzo Lyonsの立場ということになるでしょうか。
 Lorenzo Lyonsは、900以上もの賛美歌をハワイ語に訳したひとで、『Hawai’i Aloha』もそんな歌のひとつであると考えられています。もっとも、讃美歌であれば、呼びかける対象は神(ke Akua)であるはず。『Hawai’i Aloha』にも「神によって」(na ke Akua)ハワイが守られますようにというくだりで神が登場しますが、全知全能の神が讃えられたり、その存在を信じることで永遠を担保しようとする構えは後退している印象で、まるで神の占めるべきポジションがハワイに置き換えられたのかと思うほど、「e Hawai'i」とハワイへの呼びかけが繰り返されています。Lyons(Makua Laiana)は、1832年に合衆国からやってきて、1886年になくなるまでの半世紀以上をハワイで暮らした宣教師。そんな彼ですから、長年、布教を続けるなかで、おそらくハワイ的なキリスト教の受容のありかたを理解していたはずで、『Hawai’i Aloha』にもその知見が反映されているのではないかと思ったりします。たとえば、ハワイを最大限に讃えたうえで、それを守るものとして神が登場するあたり、あくまでも上位にあるのは神なわけですが、キリスト教徒であるとともに「Hawai’i aloha」(愛すべきハワイ)に対しても敬虔な態度で祈りをささげるハワイのひとびとに合った信仰のあり方みたいなものがこの歌に表現されていると考えると、聖なるものが複数同居していることも、なんとなく納得できるような気がしてくるんですね。あるいは、50年も暮らしたハワイですから、Lyons自身もハワイのことを故郷として大切に思っていた可能性もあるでしょうか……。そんなことを考えたりしながら、異文化が出合うところに誕生した奇跡の1曲が、この『Hawai’i Aloha』なのかもしれないと考えはじめています。

*:「E Hawai'i」の「e」は、呼びかける対象につくことば。「Tanakaさん!」とひとに呼びかけたりするときも、「e Tanaka!」となります。
**:相手がハワイなので、「あなた」を表わす「'oe」およびその所有形「ou」「kou」も「ハワイ」と訳してみました

参考文献
1)Chun MN: No na mamo-traditional and contemporary Hawaiian beliefs and
practices. Honolulu, University of Hawaii Press, 2011, pp46-50
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。