Kamakahikilani

Kamakahikilani






 ふいによみがえるこの思い。
 森にすまう美しきひと(の面影を追うように)。
 香り高き花々のなかでも、とびきり際立ったあのひとを……。

 大切なひとのことを思い起こしながら、その輪郭をなぞるようにことばがつむがれる『Kamakahikilani』。こころのひだから深い思い(ke aloha)がムクムクっとわきあがってきて、遠い面影をたどるうちに記憶の底にまよい込んでしまった……そんな夢見心地なところも感じられますが、その一方で「香り高き花々のなかでも」(o na* pua 'a'ala kaluhea)あのひとはナンバーワンだ(kahi)と言い切っているところは、その誰かの存在感を香りにたとえながら、いまもその影響下にあることを力強く語っているようでもあります。それにしても、そこまで思いを寄せるひとって一体誰なんだろう?って感じですが、CDの歌詞カードには、Kuana Torresが自身の養母(makua ha*nai)であるKamakahikilaniのことを思って作ったとあります。この歌が作られた時点で彼女は存命だったようですから、決してすでに過去になったひとというわけではないと思われますが、それでも遠い記憶をたどるような雰囲気があるのは、長年の親子関係のなかで積み重ねられた数々のエピソード、あるいは大切な思い出があるからに違いありません。

 豊かに生い茂る木々があり、
 (そこには)深い思いもともにあって、
 その見上げるところには、かけがえのない一輪の花があったなと……。

 見上げるような高いところにある(i luna)一輪の花(kahi pua)……おそらくお母さんのことをたとえていると思われるその花は、豊かに茂る木の一番上のところに、愛をたたえながら(me ke aloha)咲いていると歌われます。見上げるところにあるというたとえは、そのひとへの尊敬のまなざしや周囲への影響力の大きさそのものであると思われますが、「na* la*'au」(木々)には「木の幹」(kumu)も含まれているはずで、そこからさらにイマジネーションをふくらませてみてもいいかもしれません。たとえばこの表現には、しかるべき伝統や起源(origin)を引き継ぎ、未来へつなげていく重要なポジションがそこにあることの暗示も含まれているかもしれないなと……*。あるいは、幹から枝が分かれ、水平にも垂直にも連なってたくさんの葉がしげっていくさまは、個がそれぞれに存在しながらも全体として家族('ohana)であるような、命を媒介とした共同体のありかたを思わせるところもあります。

 あなたを思う、かぐわしいlei(のようにいつも近くにいるように感じるひと)よ。
 大切でいとおしい、Kamakahikilani。
 まさにKahelelaniになぞらえてもいい島の誇り。
 そんな私の(プライドそのものである)leiを、どうして高く掲げずにおれようか……。

 このhui(繰り返し)のところでは、かぐわしいleiのようなひとよ(e ka lei anuhea)という呼びかけのあと、それを言い換えた「ku’u lei」(私の大切なlei)が二度も繰り返されていて、対象への思いが最高に盛り上がっていることをうかがわせます。また、先のバースでは「kahi pua」と単体であった花がleiになっているところは、leiを身につけその香りに包まれるように、いつもその大切なひとの思いを身近に感じていることの表明でもあるでしょうか。
 さらにこのバースには、Ni’ihau島の象徴とされる貝、「Kahelelani」が登場しています。Kuanaさんの養母であるKamakahikilaniさんが、もともとNi’ihau島で生まれ育ったことを強く意識してのことだと思われますが**、その彼女のことを島の誇りといってもいいと語り、(そのひとをなぞらえた)leiを高く掲げると歌い上げているところには、もしかすると彼自身のハワイ人としての決意みたいなものが語られているのではないかと思ったりもします。というのも、Ni’ihau島といえば、ハワイのひとびとでさえ気安く訪れることが許されないほど外来の文化から隔離され、その固有性が長らく守られてきた島。その貴重な文化の体現者であるKamakahikilaniさんに育てられた者の使命みたいなものを、Kuanaさんはもしかすると感じながら歌っているのではないかと……。このあたりは、ぜひともご本人のお話をうかがってみたいところですが、少なくとも、島の象徴であるKahelelaniということばには、ハワイを外からながめるひとにはにわかには理解しがたい、大いなる尊敬やあこがれの気持ちが込められているのではないかと思われます。

 あなたはLi*hauの雨のようにやさしく(愛をそそいでくれた)。
 それはNa*uluの雨が突然やってきたときも、
 Moea*huaの気持ちのいい風がそよぐときも(そうだったなと)……。

 Li*hauは、やさしくすずやかな空気をともなう雨。それをあなたが降らせたようだったという描写は、養母であるKamakahikilaniが彼をやさしく包んでくれたときの、温かい愛情をたとえる表現ではないかと思われます。またそれは、ときには「突然降る激しい雨」(Na*ulu)のように怒りをともなうものであったり、Moea*huaのように「気持ちのいい風のそよぎ」(ke aheahe 'olu'olu)のようだったとされるのは、厳しく接する時もやさしいときも、その愛情の深さに違いはなかったってことでしょうか……。そこには、親子ならではの、きれいごとだけではすまない関係が表現されているのかもしれませんね***。

 もう一度歌おう。
 そして、その花への思いを胸にしっかり抱きしめよう。
 大切なleiを、誇らしい気持ちで高々と掲げながら……。

 ここまで、Kamakahikilaniへの思いがこころのままに歌い上げられてきたわけですが、最後にそのすべてを抱きしめ(pili i ka poli)、こころのうちにおさめながらも、彼女をたたえるべく、高く、もっと高く……とleiを捧げ持つ(kau kehakeha mai i luna)と締めくくられます。それにしても、母をそこまで大切に思い見上げる気持ちには、子どもが親を思う以上のなにかが潜んでいるのではないか……なんてことを思いたくなる『Kamakahikilani』。その思いの行き先が、Kuanaさんの将来ばかりか、これからのハワイ文化のありかたを決めるのではないかと思ってしまうくらい、力強さに満ちた一曲でした。

Kuana Torres Kahele

*:ハワイ語で「樹の幹」や「系統樹」をあらわす「kumu」は、「起源」「はじまり」「土台」といった、ものごとの正当性を担保することばでもあります。
**:現在はKaua’i島在住とのこと。
***:Na*uluは、Kaua’i島南西部の海沿にあるWaimeaの雨で、突然激しくシャワーのように降るのがその特徴。解釈するにあたっては、状態動詞としての「na*ulu」に「怒っている」「いらいらしている」といった意味もあるあたりを考慮しています。Moea*huaも同じくKaua’i島に見られる自然現象で、Waimeaの西側にある海沿いのまち、Kekahaにふく風の名称。
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コメント

Loko

リリーさん
有難うございました。読んでいて胸が熱くなりました。
Kuanaさん はシェルレイを付けてることが多いですが、そんな時はKamakahikilani のことを想いながら、身近に感じながらいるのでしょうね。Kuanaさんの深い深い愛を感じます。
素晴らしい解釈して頂き感謝いたします。

隙間のりりー

Lokoさん

さっそく読んでいただきありがとうございます。
感想をいただけると、ホントにうれしいです。

そう、Kuanaさんのシェルレイ、写真でしか見たことありませんが、何重にもなっていて存在感がすごいですよね。
見た目の美しさはもちろんですが、つけておられるご本人は、いつもレイのことが気になっておられるはず(物理的にも精神的にも)。

また気になるmeleがあったら教えてくださいね。

※読み直してみたら、少し日本語がおかしなところがあったので2か所訂正しています。大意は変わっていません。
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。