Kaulana 'O Hilo Hanakahi

Kaulana 'O Hilo Hanakahi





 Hiloといえば、(その地を治めた)Hanakahiで知られるところ。
 (ほかにも)Pana'ewaの美しいlehuaや、
 霧雨をともなう日の出のすばらしさとか……。
 
 あぁ、なんて美しいところなの……と、奇跡のような自然の美しさに目を見はるひとの、こころのふるえまでが伝わってきそうに思われる『Kaulana 'O Hilo Hanakahi』。Len Machadoによるこの歌は、Hawai'i島を演奏旅行したときの思いを、ツアーの出発点であり最終地点でもあったHiloのまちへの賛辞とともにつづったもの*。山側のPana'ewaには美しいlehuaが生い茂り(ka lehua nani o Pana'ewa)、日の出とともにやってくる霧雨にまちはしっとりぬれて(kau mai e ka la* me ke kilihune ua)……と、日々繰り返される自然の営みを前に、しばし立ち止まったときの静かな感動が、夢見るように語られていきます。

 Hiloといえば、(その地を治めた)Hanakahiで知られるところ。
 あのMaunakeaの美しさといったら、もうそれは格別で、
 雲をいただき、その山肌は白く飾られて……。

 Hiloは、Hawai’i島の東側、最東端に張り出したPuna地域にもほど近い、Hilo湾周辺に広がる海沿いのまち。山頂に雪をいただくMaunakea(13,796フィート)を北西方向に見わたせる位置にありますが、このバースにもあるように、Hiloが霧雨に包まれる朝方は、その山肌も雲で白く覆われていることが多かったりします(kuahiwi kau e ka 'ohu, 'ohu ho'opuakea 'ili)。そしてその方向には、4千メートル超の高さにまで続いているとは思えないほどなだらかな傾斜を背景に、ゆったりと横たわるように広々とした空間がひろがってもいて、湿った海風が雲をはらみ、Pana'ewaのlehuaをかすめながらMaunakeaを駆け上がっていきます。そうして、刻々と姿を変える雲の流れに自然のパワーを感じるような、もうそこに自分がいることさえ夢のように思われる、ことばを超えたなにかを想像してみると、「ほかのどこで、これほど神の創造を崇めたくなる場所があるかしら?」**という、Hiloの風景を眺めながらLena Machadが語ったとされることばの意味も、いくぶんかは感じ取れるような気がしてきます。

 Waia*nuenueの滝には虹がかかり、
 Ku*hio*湾は静けさにつつまれ、
 Mokuolaはおだやかさそのもの……。
 そう、ヤシの木がゆらゆらしてたりするのね。

 Waia*nuenue(文字通りの意味は「rainbow water」)は、Hilo市街から山側に数キロのところにある滝。直径30メートルほどの池に約24メートルの高さから流れ落ちるそれは、その名の通り、よく虹がかかる(pipi'o)ことで知られています。Ku*hio*湾はHilo湾の東の端、Waiakea半島の東側にある静かなビーチ。そして、同じ半島の西側にあり、Liliʻuokalani Park and Gardensから遊歩道的な橋でつながっている小島がMokuolaです。そこにヤシの木がゆらゆら揺れる(i ka holu nape lau o ka niu)様子をながめているだけでも、なんとなくこころおだやかになれるような、そんなロケーションにありますが、古代には「moku-ola」(命の島)という名の通り、病の治癒のために訪れたり、heiau(祭祀を行う場所)だったり、pu’uhonua(追っ手を逃れた兵士などが安全を確保できる場所)があったりと、ハワイのひとびとにとっては特別な意味合いのある場所だったようです***。

 美しい、あぁ、もうすばらし過ぎる……。
 なんだか、生まれ故郷に匹敵するくらいに思えるところなの。
 そんな、この胸一杯の気持ちが伝わりますように。
 (数え切れないほどの)素敵に満ちた、Hiloへの思いを込めて……。 

 Lena Machadoたちの演奏旅行は、Hiloを出発点に、Hamakuaコーストを北上してLaupa*hoehoe、続いてWaimea、Konaをたどって南へ向かい、Ka'u地方のPa*hala、そして再びHiloに戻るという、約3週間にもおよぶものだったといいます。移動にはバスをレンタル、宿泊は友人やその家族をたより、数日滞在しては次の目的地へ向かったんだとか。ツアー中、Lena一行をサポートした友人たちのなかには、一緒に旅をしたひともいたようで、気の置けない仲間でワイワイ楽しく……みたいなノリだったのか?と思いきや、楽団員たちの日頃の行動については、Lenaがお目付け役よろしく目配りしていたようなところもあったようです。Meleの内容とは関係ありませんが、彼女の生真面目な人柄がうかがえるという意味では、興味深いエピソードかもしれません。生真面目といえば、ステージはもちろん、道中のすべてを仕切るのはLena自身だったようで、にもかかわらず自らは報酬を求めなかったというから頭が下がります。その情熱の源は、一体なんだったのか?!と思ってしまいますが、自分を待っていてくれるひとたちに直接歌声を届けずにはいられない、熱い思いにつき動かされていたのではないかと想像してみたり……。
 おそらく、宿だけでなく道中の食事をふるまわれることも多かったのではないか……なんてことも想像されますが、そうしてよくしてくれた友人知人への感謝の持ちを込めて、旅のすべてを振り返りつつ歌われたのが、この『Kaulana 'O Hilo Hanakahi』でもあります。数々のステージをこなした達成感と、いよいよ演奏旅行も終盤という安堵の気持ち……そんな、胸いっぱいの気持ちを抱えながら、再び目にしたHiloのまちは、Lenaにとって、「(まるで)生まれ故郷のように思える場所」('o ku'u 'a*ina ha*nau e*)になっていたようです。そうして歌われる「kaulana 'oe e Hilo e*」の「kaulana」は、(よく訳されるように)誰もが知っているという意味のそれではなく、私が経験したHiloのすばらしさを、多くのひとに知ってほしいという、そんな願いが込められているのではないかと思ったりもします。
 「Anty Lenaは、その存在があたりまえになってしまっていること、たとえば誰のためにでもなく野に咲く花にも立ち止まり、その香りや姿を飽きることなくめでるようなひとだった」と、養女のPi'iolani Mottaがその手記で語っています。そうして自然の美しさを観察するように、自身の感動を歌にしたんだとも……。『Kaulana 'O Hilo Hanakahi』に描写されるHiloの風景の、夢ともうつつともつかない独特の雰囲気は、そんな彼女独特のアプローチによる、ひとと風景との交流空間から生まれたのかもしれません。

*:ツアーが行われたのは1934年で、同じようにツアーのときのHiloの印象が歌われた楽曲に『Kamalani O Keaukaha』(1934年)がありますが、『Kaulana 'O Hilo Hanakahi』はその12年後に作られたもの。
『Kamalani O Keaukaha』http://hiroesogo.blog.fc2.com/blog-entry-325.html
**:Lena Machadoのha*nai(養女)だったPi'iolani Motta の手記にある、HiloでのLena Machadoの発言。
***:Mokuolaは過去に何度も津波に見舞われている場所で、とくに被害が大きかった1877年にはいったん何もかも流されているようです。その後、1880年に天然痘、1900年にペストが流行したときには島全体が隔離施設として用いられており、公園として整備されたのは20世紀になってから。また、第二次世界大戦中は米軍の施設として一般の立ち入りが制限されていたこともあり、みためのおだやかな印象に反して、その変遷がハワイの激動の時代そのものだったりする場所でもあります。

参考文献
1)Motta P: Lena Machado-songbird of Hawaii-my memories of Aunty Lena. Honolulu, Kamehameha Schools, 2006, pp71-77
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。