話題になることもあまりないけれど(li’i’li’i ka mana’o me ka ‘o*lelo)なんてひかえめな歌い出しに、ちっぽけな(li’ili’i)その島に対する作者の微妙な心持ちがあらわれているように感じられる『Mele O La*na’i』。それでも、ハワイの島々のなかでは重要なところ(mea nui o na* moku ‘a*ina)といい切るあたり、なんとかLa*na’i島を持ち上げようとしていることもうかがえます。そんな、なんとなく島の微妙な立ち位置も感じさせながら、La*na’i島のあれやこれやが語られていきます。
Kauna’oaは、La*na’i島の象徴として語られることが多い、ハワイ固有の植物種。葉を持たずほかの植物に寄生し、細いオレンジがかった黄色のツルがからまったような形状をしていて、海沿いの砂地をはうように生息します。淡い黄色の小さな花をつけますが、なにより絡まった毛糸のようにも見えるツルの部分にインパクトがあります。黄金のような色合(ka waiho’olu’u like me ke gula)と歌われるのはそのツルの部分で、leiに編まれた写真を見ると、太陽の日差しに映える素朴な華やかさに、独特の気品漂う存在感があるようです。それにしても、「その美しさはlehuaよりまさっている」(ua ‘oi kona u’i mua ka lehua)と語られるあたりは、lehuaを島の象徴とするHawai’i島への対抗心とも読めそうで、なんだかドキッとさせられます。もっともこの歌が、もとはKamehmeha DayのパレードでLa*na’i島をアピールするfloat(山車)のために作られたものであることを考えると、さもありなんってところでしょうか……*。
La*na’i島は、Maui島の西側、Molaka’i島の南側に位置し、人口約3千人、面積は360平方キロメートルほどと日本の種子島ほどの大きさ。そしてこのバースでは、その小さな島に「富をもたらす」(e ho’owaiwai)のが「パイナップル」(ka hala kahiki)であることが語られています。La*na'i島がいまでも「Pineapple Isle」(パイナップルの島)と呼ばれることがあるのは、そんな時代があったことの名残ですが、19世紀末までは砂糖きび栽培、20世紀に入ると牛の放牧、1920年代に入ると牧場の大部分がパイナップル農場に姿を変え……といった具合に、資本主義の荒波をもろにうけたのが、このLa*na'i島でもありました。その後、パイナップル産業も70年後にはその歴史を閉じることになりますが、この歌が作られた1948年ごろは、多くのひとびとにとって(no ka lehulehu)、パイナップルに生活がかかっている(‘imi ola)状況だったわけです。それでも、「名前を有名にしなくっちゃね」(e ho’okaulana ‘oe i kou inoa)といいたくなるLa*na'i島。パイナップル農場の最盛期でも、いまいち存在感のない島だったのかもしれません……。
小さいけれど、愛にあふれている(li’ili’i ‘oe ke aloha nui)と、パイナップル畑だけが延々と続く、素朴な田園風景が広がっていたころのLa*na’i島のことが語られる『Mele O La*na’i』。ともあれ、その時代から半世紀を経ても歌い継がれるこの歌を、その姿を知らない私たちがどう受け止めるべきかは、正直、迷うところです。ましてや、「断ち切りがたい(その島への)思い」(he mana’o poina ‘ole)を理解できるはずもないのですが、外国資本による土地利用が進んだことで、深刻な環境破壊が進んでしまったという歴史的事実だけは、心に刻んでおきたいと思います**。
Words & music by Val Kepilino
参考文献 1)Wilcox C et al: He mele aloha-hawaiian songbook. Honolulu, Booklines Hawaii, 2008, p171 2)McDonald MA, Weissich PR: Na lei makamae-the treasured lei. Honolulu, University of Hawaii Press, 2003, pp36-37
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