雲を照らし出しながら(me ke ao ma*lamalama)、夢のように夕暮れがやってくる(kau mai)、……ここでは、沈む夕日が最後の力をふりしぼるように輝く様子が、幻想的なまでに美しく描写されています。水平線にひとときとどまる太陽が、まるで光の帯をたなびかせるように空気をふるわせるまさにそのとき(ʻo ka welo a ka la*)、Uhiwaiの霧は、禁を解かれたかのように導きの扉を開き、あることに思い至らせてくれる……。ここでは、許し、あるいはなにかを求める祈り(kala)によってもたらされる真理に至る道が、Uhiwaiによって夢のように立ち現れ、ある思いをかきたててくれたと解釈してみました*。そんなふうに、待ち望んでいた天からの贈り物(makana)が不意におとずれるUhiwaiの時間帯は、陸地と海との温度差が霧を生み、流れを変えようとする空気が立ち止まる凪のときでもあって……と考えると、決してこの世のどこでもない場所で出合うようなものではないわけですが、一瞬、なにもかもがリセットされるように感じるこのひとときには、日常のなかにはないある種の思考を呼び覚ます、雷に打たれたような衝撃をともなうのではないかと想像されます。
あの気持ち、大地を愛する思い(ke aloha ‘a*ina)がむくむくとわき上がってくる……まずは両親になぞらえながら歌われた「Uhiwai」の風景は、どうもそれだけにとどまらない、もっと大きな、人間の存在をはるかに超える力を思い起こさせてくれるところがあるようです。太陽は日の出と日没を繰り返し、雲は雨となって海に流れ、ふたたび空に戻っては、また雨を降らせてくれる……そんな営みのなかで続いてきた命の連なりもまた、まぎれもなく自然のサイクルの一部分であることを考えると、自分の命さえ、どこからかただでもらった贈り物のようにも思えてきます。そんなちっぽけな存在である「わたし」が、Uhiwaiの風景によって自然と向き合い、大地への思い(ke aloha ‘a*ina)がわき上がってくるのを待ち構えている(Ke kali nei i ka hoʻina)……おそらく、そんな気分で作られたのではないかと思われる『Uhiwai』。「私はここにいます」(eia hoʻi au)と叫びながら、個を超えて普遍に近づかんとする思いのはてしなさに、ただただ圧倒される一曲でした。
by Nathan Aweau
*:「ʻO ka welo a ka la*, kala ia* ‘oe」の「’oe」(動詞「kala」の目的語)を、終始呼びかけの対象とされる「Uhiwai」と捉えています。 **:この歌は、作者の両親の結婚記念日を祝して作られたようです(Nathan Aweauのアルバム『’Io』の歌詞解説より)。
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