大切に思う島(ku'u moku)、Kaho'olaweのことが、明るく軽やかなメロディにのせて歌われる『Mele O Kaho'olawe』。昔からKanaloaと呼ばれ(mai kinohi kou inoa 'o Kanaloa)、神聖な場所(kohemalamalama)であるにもかかわらず、なぜかひとが住んでいない(lau kanaka 'ole)……どう考えても、なんかわけありな感じがしますが、まずはこの島のことを、今日にいたる歴史も含めてざっくりたどってみたいと思います。 Kaho’olawe島は、Maui島の南西7マイル(11km)、Lanai島の南東に位置し、広さは沖縄本島の10分の一ほどと、ハワイ諸島のおもな8島のなかでも最小の島*。その最高峰のPu’u Moaulanuiも450メートルほどで、対岸にみわたせる、Haleakala*(約3,000メートル)をいただくMaui島あたりに比べるとかなりこじんまりした印象。しかも、水資源が乏しいこともあって、昔からひとが多く住める場所ではなかったようです**。そんな、どちらかというと存在感のないKaho’olawe島が、古代にはKanaloa(ハワイの四大神のひとつ)と同じ名で呼ばれていたというのも不思議なはなしですが、少なくともこの小さな島は、ハワイのひとびとにとって、ハワイ的な世界観を構成するある重要な要素を象徴する場所だったものと考えられます***。また、この歌にある「神聖な場所でひとが住んでいない」(kohemalamalama lau kanaka 'ole)という描写からも、島全体がご神体であるような、原初の信仰みたいなものが感じられるように思ったりもします****。 もっとも、現在、Kaho’olawe島にひとが近づけないのは、まったく別の事情からだったりします。まず、ハワイ各島の開発が進んだ時代には、Kaho’olawe島でも牧場経営が行われたのですが、多くの家畜たちが島の緑を食い尽くし、もともと雨が少ない島の荒廃がさらに進んでしまったといいます。そんな状況に追い打ちをかけたのが、1941年、第二次世界大戦を機に始まった島の軍事利用。米軍の訓練場にされたうえに、空爆の標的として爆弾が落とされ続けたんですね。戦後も長らくその状態が続きますが、島を守ろうという機運が徐々に高まり、1977年には島を占拠するといった実力行使をする運動家も現れ、社会的な関心が喚起されはじめます。そして、そのあたりのことが語られているのが、歌に登場する「若者たちが(島を)守ろうとしてやってきた」(hiki mai na* pua e ho'omalu mai)というくだりです。そうした長年にわたる粘り強い運動の末,やっと空爆訓練が廃止されたのは1990年のこと。その後、1993年になって米国議会が法律を制定,島は1994年にハワイ州の管轄下で保護地区となり、今日にいたります……。
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