水蒸気をたっぷり含んだ気流が山肌を駆け上り、頂に近づくにつれて冷やされ雲になる……そんな水の循環が、自然のダイナミズムそのままに、美しい風景としてあらわれを持つのが、天高くそびえるMaunakea山でもあります。そんな気象条件から、ときには厚い雲におおわれてその姿が見えないこともあるわけですが、晴れた日にはふんわりした雲が頂あたりを取り囲み、まるで美しいleiに飾られているように見えることもある……。そんな景色を想像しながら歌詞を読むと、「lehuaの花を」(i ka pua a’o ka lehua)、「leiとして身に着ける」(‘ohu‘ohu)という部分は、Maunakea山が、いつみても自然の宝石に飾られている(‘o kou wehi mau ia)ことを物語っているようにも思えてきます**。
そう、Hawai’i島のすばらしさは、(Maunakea山が)ゆうゆうと大地を見下ろすあの姿があってこそ……最後まで読み進めると、この歌の作者、Alice Na*makelua(1892-1987)が、どれほどその山が見える風景を愛していたかが伝わってきます。もっとも、彼女がHawai’i島で暮らしたのは幼少期だけで、日々、Maunakea山を眺めていたわけではなさそうです。とはいえ、彼女が生まれたHawai’i島Honoka'aは、Maunakea山のあるHamakua地域の海辺にあるまち。ということは、海を背にすると、Maunakea山から続くなだらかな斜面とともに、荘厳なそのいただきが見えることもあったはず……9歳のときにHonoluluへ引っ越していますが、だからこそ大切な、思い出のなかにある彼女だけのMaunakea山があったのかもしれません。 ところで、作者のAlice Na*makeluaはどんなひとだったかというと……音楽やhulaにあふれる家庭に育ち、5歳で歌、8歳でslack key guitarを始め、makua ha*nai(養父)からはハワイ語を学ぶなど、ハワイアンカルチャーに包まれた幼少期をベースに、70年にわたる音楽キャリアを積んだミュージシャン。1901年にHonoluluへ引っ越し、Princess Kaiulani Grammer Schoolに入学したころには早くも作詞を始めていたことからも、その早熟ぶりがうかがわれます。1908年に最初の夫の要望で音楽活動をやめていますが、1919年には再開し、総数180もの楽曲を残すことになります。そして、その多くは「Department of Parks and Recreation of the City & County of Honolulu」で活動した23年間(1935-1958)に作られたものなんだとか。その施設で「playground director」として活躍した彼女は、遊びの場で子どもたちに歌やhulaを教えながら、彼らに届くことばをつむぎ続けたわけですね。彼女の楽曲が、シンプルな歌詞となじみやすいメロディを特徴とするのもなるほどって感じですが、「同じ歌ばかりだと自分も退屈だったから」というのが、楽曲づくりの動機でもあったようで、教えながら彼女自身も楽しんでいたであろうことがうかがえます****。 さぁ、今日はみんなが見たことのないおっきなお山、Maunakeaの話をしようかしら……読み進めるうちに、そんな仕方で子どもたちに語りかける彼女の声が聞こえてくるような気がしてきた『Hanohano No* ‘O Hawai ‘i』。年を重ねても、子どもの目線で風景に向き合うことの大切さを知っていたひとだったのではないか……と想像しています。
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