Alu Like

Alu Like







 さぁ、みんなで力をあわそう。
 ハワイで生まれ育ったネイティブたちよ。
 決して消えることなく(未来に向けて)咲き続ける花、
 すばらしき(伝統を祖先から受け継いだ)子孫たちよ。

 なんとなく、これから山登りにでも行くのかと思ってしまいそうな、素朴で明るい印象の『Alu Like』。ですが、歌詞を読んでみると、そんなメロディからは想像できない、まっすぐかつ真剣な志が語られていることがわかります。まず、「ka*kou」(私たち)に続く「e na* ‘o*iwi o Hawai’i」(ハワイのネイティブたちよ)というフレーズから、なによりネイティブの仲間たちへの呼びかけであることがわかるのですが、この「na* ‘o*iwi」は、「mae ‘ole」(消えることなく)咲き続ける「na* pua nani」(美しい花)であるとも語られていて、ネイティブであることを誇りに思う気持ちが、ずっしりと重みをもって迫ってくるように感じられます*。

 しっかり心を込めて行動しよう。
 そう、謙虚な気持ちで。
 (そして)ホントウに正しいことを語りましょう。

 ここでは、タイトルになっている「alu like」(協同する、ともに働く)ことが、どうあるべきかについて語られているようです。それにしても、「真実」(ka ‘oia’i’o)や「謙虚さ」(ka ha’aha’a)でもって行動し、正しいことを語りましょう(e‘o*lelo pono ka*kou)なんて、ふつうはそれなりの覚悟がなければ口にできないもの。そして、そんな『Alu Like』は、もともと「Alu Like Inc.」という組織のために作られたもので、そのスローガン的な内容が盛り込まれているようです。
 Alu Likeは、1975に発足した非営利組織で、ネイティブハワイアンのコミュニティに必要な社会的、経済的援助を行うべく、米国内のネイティブを支えるための基金を受けて設立されたもの。発足当初はN.O.W.(New Opportunities Working)だったようですが、Mary Kawena Puku‘iの提案でのちに変更されたのが、現在の名称なんだといいます。また、歌詞に含まれる「E alu like mai ka*kou, e na* ‘o*iwi o Hawai‘i」というフレーズは、Alu Likeの趣旨に賛同したEdith Kanaka‘oleから寄せられたものだといい、この組織が、ハワイ文化を大切にすべく活動してきたひとびとに、広く支持されてきたこともうかがわれます**。

 (われらが)伝統にしっかり目を向けよう。
 (そして)耳を傾けるのです。
 (理想を語るだけなら)黙ってることね。
 そう、まずは手を動かすことが大切……。

 ネイティブハワイアンが拠って立つところ、そのオリジン(起源)に目を向けよう……ここでは、ネイティブハワイアンが、それを保障されてこそネイティブだといえる、彼らの伝統的な価値に目を向け、その教えに耳を傾けよう(e ho’olohe mai)と呼びかけているようです。だとすると、一緒に行動する(alu like)ことで目指されているのは、単に困っている個人を助けるといったことではなくて、たとえばネイティブがネイティブとして生きることを可能にする文化的基盤を復興するための、大いなるなビジョンに基づくプロジェックとだったりするのかも……。そうして、その理想の実現のために、理念を語るのではなくまずは行動していこう(e hana me ka lima)というわけですね。短いフレーズのなかに、信じることで生まれる無限大のエネルギーや、決してあきらめない強い意志が感じられるように思われます。
 そんな壮大なモットーを掲げる組織Alu Likeは、40年以上にわたり、ハワイのネイティブの家族や共同体が、自らの可能性を広げるべくお互いに助け合えるよう活動を続けてきたようです。たとえば、「ネイティブの子どもたちが可能性を伸ばせるよう、その家族の力を育てる」「ネイティブの雇用促進を目指して、職業訓練など各種トレーニングや教育、インターンシップを実施」「健康や食習慣に関する啓発活動」「ネイティブ個人や家族の経済状況の向上を目指して、そのためのスキルを伝える」「高齢者の健康や個人の尊厳を守り、文化的アイデンティティを回復する」「ハワイ文化に関する資料の収集」……ざっと眺めてみただけでも、その活動が多岐にわたることがうかがえます***。と同時に、裏を返せば、それだけハワイのネイティブのひとびとが置かれてきた状況が厳しいということでもあり、18世紀末以来の欧米化、とくに19世紀になって進んだ政治体制の近代化や経済のグローバル化、そしてなにより米国への依存が進んだコロニアリズムの時代の負の遺産が、いまも大きく影を落としていることの証ではないかと思われます。
 ところで、この歌を作ったHaunani Apolionaはどんな人物だったかというと……1949年Honolulu生まれ。ハワイ大学マノア校でハワイ文化に焦点をあてた学びを修め、SociologyとLiberal Artsで二つの学位を取得(1973年)。ミュージシャンとしては、この『Alu Like』で1985年にNa Hoku Hanohano Awards楽曲賞を初受賞して以来、女性ボーカル賞、トラディショナルハワイアンアルバム賞など、多くの受賞歴があります。そんな、いわば彼女ががソングライターとして注目されるきっかけになった『Alu Like』は、彼女がAlu Like Inc.のディレクターだったときに作ったもので、1984年にはソロシングルも出されています。残念ながら、シングル盤はあまり出回らなかったようですが、ハワイアンコミュニティのなかでは多くの共感を呼んだ歌だったとされます。
 『Alu Like』のほかにも、社会的、政治的に重要なテーマでハワイ語の歌を作っているというHaunani Apoliona。21世紀に入ってからは、Office of Hawaiian Affairs(ODA)の役員としての活躍など、社会的な活動のほうが目立っているようですが、彼女にとってミュージシャンであることは、もしかすると社会的・政治的主体であることとイコールなのかもしれない……『Alu Like』から伝わってくる迷いのないメッセージを反芻しながら、そんなことを想像しています。

*:ハワイ語でネイティブを意味する「‘o*iwi」の「iwi」は「骨」(bone)をあらわすことばで、祖先が骨をうずめてきた土地という意味が含まれている「kula*iwi」(故郷)にも通じることば。また、歌詞にもあるように、花をあらわす「pua」は、種を未来につなげる植物の花だけにとどまらず、広く「子孫」の意味でも用いられます。
**:Mary Kawena Puku‘i(1895-1986)は、ハワイ語辞書を編纂したことでも知られる、ハワイ文化の研究者。『Pua Lililehua』『Pua ‘Ahihi』『Po* La'ila'i』といった、フラダンサーにもなじみのあるハワイアンソングを多数残しています。また、Edith Kanaka‘ole(1913-1979)は、クムフラ、チャンター、コンポーザーとして活躍し、ハワイ大学ヒロ校で教職につくなど、ハワイ文化を継承すべく生涯にわたって活動した人物。
***:Alu Likeの活動については同組織のウェブサイト参照。
https://www.alulike.org/
****:Office of Hawaiian Affairs(OHA)は、ネイティブハワイアンの健全な発展を目指して1978年に設立された組織。選挙によって選ばれた役員組織を中心に約170人のスタッフを擁し、ネイティブハワイアンにまつわるさまざまな課題解決に取り組んでいるようです。
http://www.oha.org/

参考文献
1)Kanahele GS: Hawaiian music & Musicians-an encyclopedic history. Honolulu, Mutual Publishing, 2012, pp37-38
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。