Ka Lawai’a

Ka Lawai’a


 あなたは漁師。
 そう、海の男さ。
 海にさそわれるまま(にすべてをささげてる)。
 海が大好きなんだよね。
 そう、好きで仕方がないんだ。

 He kanaka lawai’a ‘oe
 He kanaka o ke kai ‘ea la*
 Ke kai ho’owalewale
 Ho’oheno i ke kai
 Ho’oheno i ke kai

 「さぁ、今日も海に行ってくるよ!」みたいな、漁師のおじさんの元気いっぱいな声が聞こえてきそうな『Ka Lawai’a』。2001年発売のLim Familyのアルバム『No Na* Hanauna』に収録された曲で、「Kimoおじさん、今日はどこで(漁をするの)?」(e Anakala Kimo, ma hea ‘oe e hele ana?)なんて子どものナレーションで始まっていて、Lim一家にとって大切なおじさんが、いきなり目の前に現れたような雰囲気もあります。

 海のことが好きでたまらないその思い(にグッとくる)。
 (だから)あなたの名前を呼ぶよ。
 ご機嫌に泳ぐんだよね。
 (そして)海にもぐっていく、
 そう、波をぬうように……。

 Ka mana’o ho’oheno o ke kai
 E ka*hea ana i kou inoua ‘ea la*
 ‘O ka ‘au ‘ana me ka hau’oli
 E lu’u ana i ka nalu
 E lu’u ana i ka nalu

 いつも大好きな海のことで頭がいっぱい(ka mana’o ho’oheno o ke kai)……ここでは、そんな海に憑りつかれたおじさんの様子が、具体的に描写されているようです。もう楽しくって仕方ないといった様子で(me ka hau’ oli)泳ぐその姿(‘o ka ‘au ‘ana)。獲物をしとめてはもぐり(e lu’u ana)、戻ってきたと思ったらまた波間に消えていく(i ka nalu)……水中を自由自在に泳ぎ果敢に挑んでいく姿に、思わず見とれてしまってその名を誇らしげに呼びたくもなる(e ka*hea ana i kou inoua)……そんな、おじさんを見ているときのやや興奮気味な気分が、このバースには表現されているように思われます。

 偉大な漁師で、眉毛なんかも(りっぱで)風になびいて、
 もう、まつ毛ときたら日に焼けちゃったりもしてる。
 雲が低く垂れこめても、
 風だってあなたの友だちみたいなもの。
 (だからなにがあっても)大丈夫なんだよね。)

 Ka lawai’a nui, ‘ea’ea na* ku’emaka
 I ‘ehu’ehu na* lihilihi mai ka la*
 ‘O*pua ha’aheo i ka lewa
 Ka makani kou hoa pili
 Ka makani kou hoa pili

 風になびくようなりっぱな眉毛(ku’emaka)……なんとなく、長年、経験を積んだ漁師の凛々しい姿が目に浮かびます。そしてさらに、まつげなんかも日に焼けて(i ‘ehu’ehu na* lihilihi mai ka la*)とありますから、全身、潮風と強い太陽の光をあび続ける、海に生きるひとならではの容貌もイメージされます。そんな熟練の域に達したおじさんですから、雲が低く垂れこめて(‘o*pua ha’aheo i ka lewa)、天候があやしくなってきたって動じることはありません。というのも、風だって彼の友だちみたいなものなんですから(ka makani kou hoa pili)……そうして、雲行きや微妙な気流の変化を敏感に察知し、次の行動を的確に判断する。そう、海の男は、ただ勇ましいだけではないんですね。

 この歌の大切なところがこころに響いたかな。
 これは(とある)漁師をたたえるべく歌ったもの。
 私たちみんな、あなたを誇りに思ってる。
 あなたにこの歌を捧げます。
 万感の思いを込めて……。

 Puana ke aloha i ke*ia mele
 He mele no ka lawa’ia ‘ea la*
 Ha’aheo ma*kou ia* ‘oe
 Nou ke*ia mele
 Nou ke*ia mele

 私たちはみな、あなたのことを(ia* ‘oe)誇りに思っています(ha’aheo)……ここでは、最後の締めくくりとして、あらためて漁師のおじさんへの思いが語られています。そして、ここで注目すべきだと思うのは、「私たち(にとってのおじさん)」という意味で用いられているハワイ語が、聞き手を含まない「ma*kou」であること。つまり、歌い手(あるいは歌の作り手)と、その聴き手とのあいだに隔たりがあることが示されていることから、ここでの私たちは、たとえば「私たち家族」といった、限定されたものだということになります*。もっといえば、この歌を作ったKapualikoolehuanani Lim-Ryusakiは、漠然とみんなのおじさん的なひとを取り上げたのではなく、Lim一家にとっての愛すべきおじさんのことを歌にしたわけですね。とはいえ、観光地化の波が海沿いの風景を変え、昔ながらの海の技がすたれて久しいハワイであってみれば、よそのおじさんであっても、そのほれぼれとする姿に出会ってみたかったな……という気もします。そう、ハワイがその伝統でもってハワイであり得た時代の、誇らしくも輝かしい象徴であるそのひとに―そんなことをぼんやり思ったりしながら、観光客でにぎわうビーチではない、土地のひとびとの生業のためにこそあった、昔のハワイののどかな海辺の風景を想像させられた、『Ka Lawai’a』なのでした。

by Kapualikoolehuanani Lim-Ryusaki

*:3人以上の「私たち」をあらわすハワイ語には、話しかけられるひとを含まない「ma*kou」と、話しかけられるひとを含む「ka*kou」があります。

http://www.allmusic.com/album/no-na-hanauna-mw0000214717
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。