ここで「大切にされるもの」(pu*lamahia)と歌われる「huahekili」は、「naupaka kahakai」とも呼ばれる、海辺に繁茂するnaupakaの一種。それは、胸のところにしっかりと肌身離さず(i pili i ka poli a hemo 'ole)といった具合に大切にされているといい、作者にとって、なにより大切ななにかの象徴がnaupakaであることがうかがわれます。そしてそれは、なにより神聖なものとして守られるべきもので、「その守りがなかったら(大変なことになっていた)ところを(e 'ole ou malu lani la* e*)、ここでは「寒さ」(anu)や「わざわい」(ma*'e'ele)と語られているところの外圧に屈することもないと語られます。一方、この歌の発想の原点であるとされる、naupakaをぬらすKanilehuaについては、ダメージを与えるものというよりはむしろ命の源であるはずで、ここで問題になっているいまわしいものは、別のなにかであると考えるのが自然ではないかと思われます。そして、これに続くバースでは、そのあたりのことがある程度の輪郭をともなって語られていくんですね。
ここでは、よもや波にさらわれかねないと思われるような海辺の土地に、それでもしっかりと根付いて育つ植物、おそらくnaupakaのことが描写されているものと思われます。ここで、naupaka kahakaiのことをざっくりまとめてみると……高さはおおよそ5~6フィート(2メートル弱)、乾燥に強く、潮風を受けながら砂地に根を張って繁茂する性質があります。隙間の少ない密度のある固まり状に育つこともその特徴で、海辺でも風のダメージが比較的少なくすんでいるのは、その形態のおかげでもあるようです。そうして、naupakaの根は風による砂地の浸食を防ぎ、積極的に砂丘を作る役割さえ担っているとされます**。海辺の土地が(kahaone)、波をかぶって失われることからまぬがれている (ua pakele mai ……i ka popo'i mai o na* nalu)と歌われるのは、実際にHiloの海辺にみられる風景そのものだと思われますが、これに続く後半部分も含めて、このバースについてはさらにイメージをふくらませてもいいのではないかと思ったりします。たとえば、大地にしっかり根を下ろしているおかげで(i ke a'a kupa'a o ka 'a*ina)失われることがないと語られているのは、潮風にも負けないたくましさのnaupakaのみならず、先祖代々、ハワイの大地('a*ina)に根を張るように生きてきた、ネイティブのひとびとのことでもあるのではないかと……。それはまた、ネイティブのひとびとが大切に守ってきたハワイの伝統でもあるはずで、そう考えると、naupakaが「胸のところに、しっかりとどまって離れないもの」と歌われることの意味もみえてきます。そうして大切に守られてきたからこそ、いまも存続しているこの土地、そして、そこでのひとびとの営みがある……そう、タイトルにある「he Lei Aloha(no Hilo)」とは、故郷、Hiloのことを思う気持ちそのものなんですね。
ここまで読み進めてくると、naupaka によって象徴されているのは、荒波にものまれず存続してきたHiloの土地であり、大切に守られてきたひとびとの暮らしそのものであろうことがみえてきます。そして実際に、Hiloといえば、記録にあるだけでも過去になんどか津波で大きな被害を受けてもいる土地柄***。そういう意味でも、波に流されないということばには相当な重みがあると思われますが、さらにイメージをふくらませて、守られてきたのはハワイ古来の文化でもあると考えると、荒波とは欧米諸国からの外圧を受け続け、最終的に合衆国併合に至るまでの歴史でもあるととらえても、あながち間違いではないかもしれません。そしてなにより、花(pua)といえば、世代を更新していく子孫のことでもあります。そう、受け継がれてきたハワイの宝を守れるかどうかは、いまを生きるわれわれ、および来るべき未来のひとびとにかかっている……。Naupakaこそが、なにより尊い花なのです('o naupaka no* i ka we*kiu)で締めくくられるこの歌には、そんな故郷を思う心意気みたいなものが込められているに違いないと想像しています。
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