ここに歌われているKalaupapaは、Moloka'i島の北側の中央あたり、先のバースで歌われた南側のKalama'ulaからすると、ちょうど反対側に位置する半島の名前。半島がなんとか見渡せる位置までは車でも行けるようになっていますが****、かつては海からせアクセスするしかない陸の孤島だったところです。そんな地勢的な事情もあって、Kalaupapaは、1969年に法律が廃止されるまでの約100年間、ハンセン病のひとびとが隔離された集落があったところでもあります*****。 そんな隔離の歴史が示すように、昔からほかの島に比べて、人の移動が極端に困難だったことがうかがえるMoloka'i島******。そして、このKalaupapaの集落に行くには、いまでも特別な乗り物に乗らなければならないようです。そう、このバースに登場する「piula」(mule、ラバ)ですね。「ラバたちが行ったりきたり」(holo aku, holo mai ho'i na* piula)と楽しげに歌われますが、「Kalaupapaの険しい道を」(i ka meheu nihinihi o Kalaupapa)と語られるように、足をすべらせようものならただではすまない、切り立った崖っぷちの道なき道が延々と続いているようです。Kalaupapaが「暗く閉ざされた(陸の孤島的な)土地」(ka wehi nupanupa o ka 'a*ina)であるとされるのは、そんな厳しい自然環境、および、ハンセン病をめぐる負の歴史も含めてのことではないかと思われます。
このバースでは、島の北東にあるHa*lawa渓谷や、特別な力を持つkahuna(古代ハワイの聖職者)として伝説でも語られるLanika*ulaにちなんだ地域が登場します。空港がある島のやや西中央あたりから、島の南側の海岸線に続くハイウェイをたどり、ほどよくさびれた居心地のいいビーチを過ぎて、Ha*lawa渓谷の切り立った峰をながめながら進んでいくと、Pu’u o loko ranchを越えた島の最東端あたりに広がっているのが「Lanika*ulaのkukuiの林」(ka ulu kukui o Lanika*ula)。Moloka'i島の聖地のなかでも特別な場所とされており、Lanikaulaが亡くなったときに植えられたとする伝説もあるようです。ちなみに、道路はHa*lawaあたりまでしか到達していないため、この林を越えて島の北側には車で行くことができません。そんなひとを寄せ付けない自然のけわしさは、ときに人間を超えた大きな力を感じさせるのかもしれないと思ったりもします。
「敢えておおげさにいうけれど」(kaena a'e no* au)みたいな、ちょっと勢い込んだ口ぶりのせいか、この最後のバースには、ハワイのほかのどの島にもないMoloka'i島のすごさを(i ka ‘oi)、なんとか伝えたいという思いが迫ってくるような感じもあります。おそらく、作者であるKuana Torres自身がなにより多くのことを考えさせられた、そんなMoloka'i島の旅だったに違いないと思われますが、CDに添えられたコメントによると、この曲が彼のところに降りてきたのは、Moloka'i島ではなく、なんとナポリ湾をドライブしていたときだったんだとか。なぜにイタリア!?って感じですが、「豊かな緑生い茂る風景でもって思い起こされる島」('ailana ka mana 'o i ka uluwehi)は、彼にとっては外国にも匹敵するような、初体験感満載の異空間だったのかもしれません。あるいは、目にしたものがそのまま語られたというよりも、彼の記憶のなかで美しく結晶化したMoloka'i島が、ことばを尽くして(kaena)表現されているのかも……。そんな、空間にしばられない自由な精神の営みのなかに、目には見えないけれども存在する、作品を生み出すための思考空間みたいなものがあるような気がしています。
※Hawaiian Homes Commission Act(HHCA)について 1921年にできた法律による制度。王朝時代までは政府および王家のものだった土地は、併合にあたってハワイ共和国により合衆国に譲渡されましたが、その土地を、ネイティブハワイアンによる入植地にすることがこの制度の目的。この施策のもと、ネイティブハワイアン(応募条件としてはハワイアンの血が50%以上)は、99年リース、年間1ドルで、住居、牧畜、農業などの生業に土地を利用する権利を獲得できるというもので、入植地を整備するにあたってHHCAによる支援も行われるなど、法律によってネイティブハワイアンの利益を保証する役割を担ってきた制度です(ただし、制度そのものにはっきりとその目的は述べられていない)。その背景には、19世紀はじめに土地の所有をめぐる社会的な仕組みが変わって以降、多くのネイティブのひとびとが土地に根差した生活を奪われたことや、ネイティブ人口の激減(社会的、経済的、医療的、政治的要因による)といった深刻な問題がありました。もっとも、HHCAをうまく利用して利益を得てきたネイティブ以外の事業者などもあり(おもに有力な砂糖関連の企業など)、1990年の統計では、該当する土地の62%が非入植地的な目的のために使われる一方で、19,000人以上のネイティブが順番待ちの状況だったとか。それでも、HHCAが長年続けられてきたことには、なんらかの意義があると思われますが、その理念がつねに危うさとともにあり続けたという事実は、ネイティブハワイアンが、現代社会においてネイティブとして土地を手にすることにともなう、ある困難を示しているといえるかもしれません。
参考文献 1)McMahon R: Adventuring in Hawai'i. Honolulu, University of Hawaii Press, 2003, pp191-215 2)Beckwith M: Hawaiian mythology. Honolulu, University of Hawaii Press, 1970, pp110-111, pp217-219 3)Mackenzie MK: Native Hawaiian Rights Handbook. Honolulu, University of Hawaii Press, 1991, pp43-76
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