身に着けた衣服はもとより、髪の毛なんかも巻き上げられる……「ka makani hu'e kapa」(kapaをはがす風)というフレーズには、激しい風の勢いとともに、全身風に包まれる空気感も表現されているように思われます。それにしても、その強い風に吹かれながら、訪れるたびに同じ風景を眺めていたわけですから、そこでLane Machadoがなにを見たかという以上に、彼女がそこで感じたものがなんだったのか!?も気になるところ。本人にしかわからないところではありますが、そのあたりを考える手がかりとして、Pi’olani Mottaが語るところをご紹介したいと思います。 Lane MachadoとNu'uanu Lookoutの思い出は、Pi’olaniのなかで、Laneがたびたびそこを訪れたという、別のある場所にまつわるエピソードに重なるんだといいます。それは、Lenaがまだ10代だった頃のこと。通学途中にあったWaikahaluluの滝のところに、Laneがなぜか足しげく通っていたという逸話です。養母(ha*nai mother)が歌うことを禁止していたため、そこで歌の練習をしていたというのが真相のようですが、そこを選んだのは、自分の声が滝の音で聞こえず、周りから注目されることなく練習できるということだったようです。もっとも、滝の音は、単なる消音効果という以上に、Lena Machadoに大きな声で歌うことを促し、自分の声を自然に向かって投げ、自然の力とともに歌うべくその力を引き寄せる仕方を教えたのではないか……というのがPi’olani Mottaの見立て。実際には、Lena自身が思う以上にひとに見られていて、「いつも同じ女の子が滝のところで声の限り叫んでいて、おかしな子だなと思っていたら、随分後になってLena Machadoだったとわかって、そうか、あれは練習だったんだなと納得した」なんて話が、新聞に紹介されたこともあったようです。それはともかく、LenaにとってのPali Lookoutは、大人になってからのWaikahaluluの滝だったのではないかとPi’olaniはいいます。そう、誰に気兼ねすることもなく、そしてなにより、自然をまるごとインスピレーションの源にできる場所が、Nu'uanu Paliだったのではないかというわけですね。それはまた、昔のハワイのネイティブのひとびとが、発声練習を波に向かってやっていたことにも重なるといい、Pali Lookout で風に向かって歌うひとときが、Lena Machadoにとっても、その歌声を聞き届けたPi’olani Mottaにとっても、深く記憶に刻まれる特別なものであったことがうかがわれます。 そう考えると、「そこで私たち二人、美しい眺めを楽しんだのよね」(i laila ho'i ma*ua 'ike i ka nani)という2番の歌詞は、Lena Machadoがその場を共有した、養女のPi’olani Mottaに向けてのものだろうという解釈もあり得るかもしれません。ただし、この歌には、Nu'uanu に吹く風について、なかば慣用的に用いられてきた詩的表現も含まれているのではないか……と思われるふしもあります****。風がいたずらするように衣服を巻き上げる「nuku o Nu'uanu」では、日ごろの「kapu」(禁じられたことや場所)も解き放たれて、そそり立つ「nuku」もあらわになる……おそらく、ハワイ語のネイティブにはそれとわかる意味内容が含まれるものと思われますが、このあたりのヒントは、「あそこは、月や星を見に行くデートの場所なのよ」みたいなことを笑顔で語ったという、Lane Machadoの茶目っ気たっぷりな態度にありそうでしょうか。そう、星を見に行くとかいいながら、別のことをしてるのよね!?みたいな感じで……*****。 そんなふうに、自らが眺めた風景を語りつつ、それとは別の、いわばNu'uanu Paliの「夜の顔」的な要素が盛り込まれている可能性もありそうな『Nuku O Nu'uanu』。峠のこちら側と向こう側、世代を越えて続く交友関係、そうして時を旅するように続く自らの人生を思いつつ、生涯、その原点であり続けた場所に感じるインスピレーションを語りながら、一線を越えていく恋人たちのことまでこっそりしのばせているという、書物からは学べない、生きたハワイ的知性がちりばめられたmeleでした。
by Lena Machado(1936)
*:彼女たちはleiメイキングを生業にしており、Lenaとは彼女がミュージシャンになる前、港のあたりで一緒にleiを売る仕事をしていた頃からの交流があったようです。 **:絶景を楽しむために観光客も多く訪れるNu'uanu Pali Lookout ですが、もともとは1700年代の終わりに、戦いのために作られた人工の崖だったようです。また、実際に戦闘が繰り広げられた場所でもあり、1795年には、ハワイ統一を目指すKamehameha一世の軍勢によってNu'uanuの峠に追いつめられたO'ahu島の兵士たちが、谷底まで200メートルはあるNu'uanu Paliから飛び降り命を落としたとされています。Nu'uanuを越える道路が整備され始めた1897年には、800もの頭蓋骨が絶壁の下に見つかっていて、当時の戦いが熾烈を極めたことがうかがわれます。 ***:最初のPali Roadは、1957年に現在の道路と二つのトンネルが開通するまで、55年間使われたとされます。 ****:「Ka makani ka*'ili kapa o Nu'uanu」(Kapaで作られた服を奪っていくNu'uanuの風)というのがその語るところ。 *****:「Ka waiho a Mo*kapuはカプの場所、の暗喩で、閉じられたその場所が風の仕業であらわになったのが「nuku」といった解釈をすると、恋人たちのデートの場所であることとの関連もみえてきそうです。ちなみに「nuku」には、渓谷といった山にまつわるもの以外に、「くちばし」「(ピッチャーの口といった)先端」「川や港の入り口」といった意味もあります。
参考文献 1)Motta P: Lena Machado-Songbird of Hawaii-My Memories of Aunty Lena. Honolulu, Kamehameha Schools, 2006, pp161-165 2)McMahon R: Adventuring in Hawai'i. Honolulu, University of Hawaii Press, 2003, pp231-232 3)James V: Ancient site of O'ahu-a guide to Hawaiian archaeologicl places of interest. Honolulu,Bishop Museum Press, 2010, pp47-48
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