Pua Ma*mane

Pua Ma*mane







 (あの山の)上の方にある美しいもの。
 (それは)Ma*maneの花のつぼみ。
 ほかと比べようのない気品ある姿で、
 その美しい花は魅力を振りまいてる。

 あの山の上のほうに(i luna)あの美しさはある(aia ka nani)というなにげないフレーズに、その花のつぼみに出合った出来事をいつくしむ気持ちが込められているように感じられる『Pua Ma*mane』。おそらくその花は、それに出合った記憶と分かちがたい誰かのことでもあると思われますが、その際立って気品あるすばらしさは、ほかと比べようもないほど(hiehie launa 'ole)だといいますから、思わず見上げたくなるほど影響力があるという意味でも、「上のほう」(i luna)に感じる誰かのことが語られているのではないかと思われます。

 この元気はつらつとした魅力(には思わず引きつけられてしまう)。
 (だから彼のことは)ここらあたりでは誰もが知っている。
 そう、Manookalaniの島、Kaua'iでは。
 (そして実は)そこが私の生まれ故郷でもあるの。 

 ここKaua'i島あたりではだれもが知っている(kaulana nei a puni)……ma*maneの花のつぼみ(ka liko pua ma*mane)にたとえられるこのひとは、どうもある地域ではかなり有名な人のようです。そして、その場所のことを「私の生まれ故郷」(ku'u one ha*nau)と歌うそのひとは、「Hawai’i's songbird」と呼ばれたLena Machado(1903-1974)なわけですが、ここであれっ!?と思うひとがおられるかもしれません。というのも、Lena Machadoといえば、Honolu*lu*のダウンタウンあたりを闊歩する、都会っ子のイメージがあるからです*。でも実は、Kaua'i島にルーツがあるひとだったんですね。
 Lena Machadoは、William、Gussie、Ivy、Rober Jr に続く5人きょうだいの末っ子。幼いころにHonolu*lu*のha*nai(養親)に育てられるようになり、実のきょうだいと交流することなく育ちました。ですが、だんだん自分とつながりのあるひとたちのことを知りたいと思うようになり、10代になったある日、きょうだいたちに招かれてKaua'i島を訪れることになります。相当、思いを募らせていたようで、いきなり家族になりたいといわんばかりの勢いだったようですが、Kaua'iのきょうだいたちも、そんな彼女を温かく受け入れてくれたんだとか。もちろん、Honolu*lu*の養親のもとで欧米風にしつけられてきたLenaと、Kaua'i島でおおらかに育ったきょうだいたちとの間には、少なからぬ隔たりがあったわけですが、彼らを通じて、Lenaは昔ながらのハワイのライフスタイルを知ることになります。なかでも、生涯、Kaua'i島で暮らした兄のBill(William Kauila Wai'ale'ale)から受けた影響は特別なもので、そんな兄の存在の大きさやともに過ごしたKaua'i島の思い出をギュッと凝縮させたのが、この『Pua Ma*mane』であるとされています**。
 「なんともいえない若々しさ」('o ka u'i hea ke*ia)と歌われるBillは、Kaua'i警察の一員でした。いわゆる地域のお巡りさんをイメージすると、「ここらあたりではだれもが知っている」(kaulana nei a puni)というのもなるほどなぁって感じですが、そのあとに古代の名高いali’i(chief)、「Manookalani」が登場するあたり、栄えある職につき活躍する兄を誇りに思う気持ちがあらわれているのかもしれません。

 あれはWai'ale'ale山の頂上だった。
 そう、私、素敵な光景をみたの。
 赤く燃えるような流れ(で知られる、あのWaimea riverの美しさ)も……。
 (そんなすべてが)土地の誇りといっていい存在よね。

 Nohiliの砂浜といえば、
 Polihaleの海藻、Pahapahaね。
 (そして)Ha*'upuの美しさとともにある風景は、
 Ko*loaではよく知られているの。

 Billは、Hawai’i島、Na*po*'po'o出身の妻、Edith Momi Kamauohaとの間に4人の子どもをもうけ、Kaua’i島南部Ko*loa、Prince Ku*hio Park近くの海沿いに暮らしていました。Lena MachadoはBillの子どもたちとも近しいところで育ち、まさにKaua’iの家族の一員として彼らとの関係を深めていったようです。
 Lena Machadoが10代の頃、BillはLenaがやって来ると、銃を手に、犬とLenaを連れてWai'ale'ale山へキジを捕りに出かけることが結構あったといいます。彼の妻が作るフェザーレイのために大量の羽が必要だったためで、ハイキング感覚の山登りではなかったと思われますが、このバースでも「素敵な光景を見た」(kilohi au i ka nani)と歌われているように、Wai'ale'ale山での経験は、Lena Machadoにとって、かけがえのないKaua’iの思い出のひとつであるようです。 
 緑がうっそうと生い茂るなか、けわしいWai'ale'ale山の斜面を歩きに歩き、登りに登ると、なんでも美しいボールのような形をした谷が見渡せるポイントがあったといいます。そこにはいくつもの滝があり、シダや木々にあふれていて、なかでもひときわ美しく印象的だったのがma*maneの木だったとか。小さな鳥たちが、その黄色い花々のまわりを、蜜を求めて軽やかに飛び交っている……そんな夢のような光景を目のあたりにして、Lena Machadoは自分がその自然の楽園のなかにいる小さな昆虫になったような気分になり、神の創造物の美しさに圧倒されたと語っています。
 Wai'ale'ale 山に続いて歌われる「ka wai 'ula 'iliahi」(赤く燃えるような流れ)は、Wai'ale'ale 山から南西方向に流れるWaimea川を語るときに使われてきた、古くからある詩的な表現。なんでも、豪雨の後に、川の西の土手沿いが赤い流れになることに由来するようです。また、その次のバースに登場するNohiliは、Kaua'i島の西側、Waimea地域にある砂浜で、ここに登場するPolihaleも同じエリアにある海岸です。そして、「Polihale にあるPahapahaの海藻」(pahapaha o Polihale)とあるように、Polihaleはpahapahaの海藻で知られる場所のようです。また、Ko*loaといえば「Ha*'upuの峰々の美しさとともにある」(me ka nani a'o Ha*'upu)と語られるフレーズには、そびえ立つHa*'upu の山並みに見守られつつ暮らす、Billたち家族のおだやかな日常そのものが表現されているようにも思われます***。Lena Machadoは、そんなKaua'i島ならではの自然を肌で感じながら、記憶にはないけれども、彼女が昔暮らし、実の父のルーツがある島とのきずなを、全身・全霊で取り戻そうとしていたのかもしれません。

 思いを伝えようと、こうしてleiのようにことばをつないでみたの。
 その花こそ美というにふさわしい。
 私はあなたを近しく感じながら生きる。
 そう、これからもずっと……。

 Lena Machadoにとって,生まれ故郷Kaua’i島とのきずなの象徴であるといえそうな、Wai'ale'ale山で見たma*maneの花****。この最後のバースでは、「その花の美しさ」(ka nani o ia pua)を讃え、その花になぞらえている「あなた」(’oe)に「これからもずっと自分のことを見守ってほしい/ともにいてほしい」(me a'u mai 'oe a mau loa)と締めくくられているあたり、彼女がWai'ale'aleの美しい自然に対して抱いた大いなる力への称賛は、そのまま大切な兄、Billへの賛辞でもあることがうかがわれます。
 ところで、この『Pua Ma*mane』は、Lena Machadoが初めてコピーライトを登録した楽曲だったりします(1930年)。このことは、自分の家族や生まれ故郷とのつながりを讃えたこの歌が彼女の土台にほかならないことを示しており、彼女自身も、ミュージシャンとしてのスタートを印す作品として、この歌を選んだのではないかと養女のPi’olani Mottaは語っています。
 この『Pua Ma*mane』では、とくにWai'ale'ale 山にスポットがあたっている印象がありますが、BillはLenaをWai'ale'aleだけに連れて行ったわけではなく、Kaua’i島に暮らすミュージシャン、たとえば、Hanohano Pa*、Jacob Maka、Alfred 'Alohikeaといった、当時活躍していた実力のあるチャンターやシンガーに彼女のことを紹介してくれたりもしたようです。養女のPi’olani Mottaによると、Lena Machadoの声や並外れた音域の高さは、そういったKaua’i島のミュージシャンたちに似ているといい、彼らとの付き合いも、Lena Machadoの音楽活動に大きな影響を与えているようです。また、ハワイ島出身だったBillの妻は、Lenaの友人のひとりで著名なKumu hula、'Iolani Luahineの親戚だったりもします。養親に反対されながらも歌の練習を続け、見事に花開いたLena Machadoのエンターティナーとしてのキャリアは、BillをはじめKaua’i島の家族あってこそだったのかもしれません。

by Lena Machado(1930)

*:たとえば、彼女の代表曲のひとつ、『Ku'u Wa* Li'ili'i』をみると、彼女が10代だったころのおませな都会っ子ぶりがうかがわれます。
http://hiroesogo.blog.fc2.com/blog-entry-317.html
**:Lena MachadoがKamehameha Schoolを卒業したあと、兄のBob(Rober Jr)は音楽活動のために米国本土へ、姉のGussieとIvyは結婚してHonolu*lu*へ引っ越します。
***:Billたち家族が暮らしたKo*loa は、Kaua’i島の南東側に位置する地域。その山側の北の端にあたるKnudsen Gapから、東方向にNa*wiliwiliw湾まで15マイルほど続く山脈がHa*'upuで、ちょうどKo*loaの海側を見下ろす位置あります。
****:Ma*maneは、1,500メートル級の高地に生息する低木。繊細な3センチメートルほどの明るい黄色の花が、木の枝の先のところに塊状に咲くことから、満開の時期には特別な光景が見られるものと思われます。ハワイの詩的表現では、高い地位や若々しい美しさ、身体的なアピールを強くする感じさせるメタファーとして用いられる花でもありますが、この作品に関しては、性的な出来事やロマンチックな愛ではなく、若々しさといってもLena Machadoの兄のそれであり、彼とその家族の暮らしが、Kaua'i島の自然とともに語られているという解釈が妥当なようです。

参考文献
1)Motta P: Lena Machado-Songbird of Hawaii-My Memories of Aunty Lena. Honolulu, Kamehameha Schools, 2006, pp179-183


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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。