ここKaua'i島あたりではだれもが知っている(kaulana nei a puni)……ma*maneの花のつぼみ(ka liko pua ma*mane)にたとえられるこのひとは、どうもある地域ではかなり有名な人のようです。そして、その場所のことを「私の生まれ故郷」(ku'u one ha*nau)と歌うそのひとは、「Hawai’i's songbird」と呼ばれたLena Machado(1903-1974)なわけですが、ここであれっ!?と思うひとがおられるかもしれません。というのも、Lena Machadoといえば、Honolu*lu*のダウンタウンあたりを闊歩する、都会っ子のイメージがあるからです*。でも実は、Kaua'i島にルーツがあるひとだったんですね。 Lena Machadoは、William、Gussie、Ivy、Rober Jr に続く5人きょうだいの末っ子。幼いころにHonolu*lu*のha*nai(養親)に育てられるようになり、実のきょうだいと交流することなく育ちました。ですが、だんだん自分とつながりのあるひとたちのことを知りたいと思うようになり、10代になったある日、きょうだいたちに招かれてKaua'i島を訪れることになります。相当、思いを募らせていたようで、いきなり家族になりたいといわんばかりの勢いだったようですが、Kaua'iのきょうだいたちも、そんな彼女を温かく受け入れてくれたんだとか。もちろん、Honolu*lu*の養親のもとで欧米風にしつけられてきたLenaと、Kaua'i島でおおらかに育ったきょうだいたちとの間には、少なからぬ隔たりがあったわけですが、彼らを通じて、Lenaは昔ながらのハワイのライフスタイルを知ることになります。なかでも、生涯、Kaua'i島で暮らした兄のBill(William Kauila Wai'ale'ale)から受けた影響は特別なもので、そんな兄の存在の大きさやともに過ごしたKaua'i島の思い出をギュッと凝縮させたのが、この『Pua Ma*mane』であるとされています**。 「なんともいえない若々しさ」('o ka u'i hea ke*ia)と歌われるBillは、Kaua'i警察の一員でした。いわゆる地域のお巡りさんをイメージすると、「ここらあたりではだれもが知っている」(kaulana nei a puni)というのもなるほどなぁって感じですが、そのあとに古代の名高いali’i(chief)、「Manookalani」が登場するあたり、栄えある職につき活躍する兄を誇りに思う気持ちがあらわれているのかもしれません。
Billは、Hawai’i島、Na*po*'po'o出身の妻、Edith Momi Kamauohaとの間に4人の子どもをもうけ、Kaua’i島南部Ko*loa、Prince Ku*hio Park近くの海沿いに暮らしていました。Lena MachadoはBillの子どもたちとも近しいところで育ち、まさにKaua’iの家族の一員として彼らとの関係を深めていったようです。 Lena Machadoが10代の頃、BillはLenaがやって来ると、銃を手に、犬とLenaを連れてWai'ale'ale山へキジを捕りに出かけることが結構あったといいます。彼の妻が作るフェザーレイのために大量の羽が必要だったためで、ハイキング感覚の山登りではなかったと思われますが、このバースでも「素敵な光景を見た」(kilohi au i ka nani)と歌われているように、Wai'ale'ale山での経験は、Lena Machadoにとって、かけがえのないKaua’iの思い出のひとつであるようです。 緑がうっそうと生い茂るなか、けわしいWai'ale'ale山の斜面を歩きに歩き、登りに登ると、なんでも美しいボールのような形をした谷が見渡せるポイントがあったといいます。そこにはいくつもの滝があり、シダや木々にあふれていて、なかでもひときわ美しく印象的だったのがma*maneの木だったとか。小さな鳥たちが、その黄色い花々のまわりを、蜜を求めて軽やかに飛び交っている……そんな夢のような光景を目のあたりにして、Lena Machadoは自分がその自然の楽園のなかにいる小さな昆虫になったような気分になり、神の創造物の美しさに圧倒されたと語っています。 Wai'ale'ale 山に続いて歌われる「ka wai 'ula 'iliahi」(赤く燃えるような流れ)は、Wai'ale'ale 山から南西方向に流れるWaimea川を語るときに使われてきた、古くからある詩的な表現。なんでも、豪雨の後に、川の西の土手沿いが赤い流れになることに由来するようです。また、その次のバースに登場するNohiliは、Kaua'i島の西側、Waimea地域にある砂浜で、ここに登場するPolihaleも同じエリアにある海岸です。そして、「Polihale にあるPahapahaの海藻」(pahapaha o Polihale)とあるように、Polihaleはpahapahaの海藻で知られる場所のようです。また、Ko*loaといえば「Ha*'upuの峰々の美しさとともにある」(me ka nani a'o Ha*'upu)と語られるフレーズには、そびえ立つHa*'upu の山並みに見守られつつ暮らす、Billたち家族のおだやかな日常そのものが表現されているようにも思われます***。Lena Machadoは、そんなKaua'i島ならではの自然を肌で感じながら、記憶にはないけれども、彼女が昔暮らし、実の父のルーツがある島とのきずなを、全身・全霊で取り戻そうとしていたのかもしれません。
Lena Machadoにとって,生まれ故郷Kaua’i島とのきずなの象徴であるといえそうな、Wai'ale'ale山で見たma*maneの花****。この最後のバースでは、「その花の美しさ」(ka nani o ia pua)を讃え、その花になぞらえている「あなた」(’oe)に「これからもずっと自分のことを見守ってほしい/ともにいてほしい」(me a'u mai 'oe a mau loa)と締めくくられているあたり、彼女がWai'ale'aleの美しい自然に対して抱いた大いなる力への称賛は、そのまま大切な兄、Billへの賛辞でもあることがうかがわれます。 ところで、この『Pua Ma*mane』は、Lena Machadoが初めてコピーライトを登録した楽曲だったりします(1930年)。このことは、自分の家族や生まれ故郷とのつながりを讃えたこの歌が彼女の土台にほかならないことを示しており、彼女自身も、ミュージシャンとしてのスタートを印す作品として、この歌を選んだのではないかと養女のPi’olani Mottaは語っています。 この『Pua Ma*mane』では、とくにWai'ale'ale 山にスポットがあたっている印象がありますが、BillはLenaをWai'ale'aleだけに連れて行ったわけではなく、Kaua’i島に暮らすミュージシャン、たとえば、Hanohano Pa*、Jacob Maka、Alfred 'Alohikeaといった、当時活躍していた実力のあるチャンターやシンガーに彼女のことを紹介してくれたりもしたようです。養女のPi’olani Mottaによると、Lena Machadoの声や並外れた音域の高さは、そういったKaua’i島のミュージシャンたちに似ているといい、彼らとの付き合いも、Lena Machadoの音楽活動に大きな影響を与えているようです。また、ハワイ島出身だったBillの妻は、Lenaの友人のひとりで著名なKumu hula、'Iolani Luahineの親戚だったりもします。養親に反対されながらも歌の練習を続け、見事に花開いたLena Machadoのエンターティナーとしてのキャリアは、BillをはじめKaua’i島の家族あってこそだったのかもしれません。
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