Kaleohano





 誇り高き声(とこころの中で呼びかけてみる)……。
 そう、Kaleohanoほどあなたにふさわしい名はない(と思う)。
 私の愛する大切なふるさとである、
 Keaukahaこそが私のよりどころ。
 それはそれは、名高いまちなのです。

 大切なふるさとへの思いをかみしめながら、そのいとおしさを反芻するように歌われる『Kaleohano』。「私の大切な家(のような場所)」(kuʻu home)が思い入れたっぷりに繰り返される一方で、ここでは具体的には多くが語られないKeaukaha。「Keaukahaといえば名高いところ」(kaulana ʻo Keaukaha)とされるそのまちが、いったいどんなところなのかが気になるところですが、語らないというよりも、いくらでもあふれてくる思いを、感極まってうまくことばにできなかったんだろうか……と思わせるところもあったりします。そんな、喜びとも悲しみとも言えない微妙な感情の起伏に、その土地に縁(ゆかり)のあるひとにしかわからないなにかがあるのだろうか……なんてことを想像してみたくなるのですが、Keaukahaのまち以上に唐突に登場するKaleohanoという人物(?)のことも、安易に詮索するのはなにか違うような気もしつつ、まずは次を読み進めてみたいと思います。

 誇り高き声(とこころの中で呼びかけてみる)……。
 そう、Kaleohanoほどあなたにふさわしい名はない(と思う)。
 私がそこで生まれ育ち、
 いつかまた 永遠の眠りにつく場所でもあるのだけれど、
 (そんな思いで)海のほうをはるかに見わたすと(もう、胸がいっぱいになる)。
 (こうして、なぜだか)なにもかもが誇らしく思えてくる、Keaukahaなのです。

 このバースでは、「海のほうをみわたすと」(huli i ke kai)と歌われていて、海に面したまちであることがかろうじてうかがえるKeaukaha。文字通りの意味は「過ぎていく流れ」(the passing current)だったりするKeaukahaは,Hawai'i島の最高峰、Mauna Kea山の南側のすそ野にあり,その沿岸は岩がちで、白砂と黒砂が混ざったHawai'i島独特の砂浜がみられる地域。海辺にはたくさんの入江や泉がわき出ており、海の生き物にとってはまたとない豊かな環境でもあります。その一方で、ひとが暮らすには自然から得られる資源は昔から限られていて、自然発生的に集落ができる土地柄ではなかったようです。そんなKeaukahaが、ネイティブの入植を促すための制度、「Hawaiian Homes Commission Act(HHCA)のもと、ネイティブのコミュニティとしての歴史を歩み始めることになったのは、1924年のこと。3番目のHawaiian homesteadとして52人ではじまったKeaukahaのコミュニティは、翌年に89人、2年後に40家族が暮らすまちとなります。ですが、もともと豊かではなかったこともあって、同じように誕生したほかのまちと比べても、人口増加ははかばかしくなく、そんな状況を受けて、HHCAに対する懐疑的な声も聞かれるようになります。それでも、厳しい自然環境にもめげずやせた溶岩の土地を耕し、自分たちのふるさととして誇れる場所に作り変えていった先祖たち。『Kaleohano』から響いてくる、風景から立ち上がってくるものたちへの深い共感は、「食べる」(’ai)ことを通してその大地(ʻāina)に根を下ろし、「kulāiwi」のもともとの意味通りそこに骨を埋めた先祖たちへの称賛や、感謝の気持ちが思わず表出されたものではないか……なんてことを思いながら訳してみました……。

『Kaleohano』(by Louis Moon Kauakahi)について、zoomオンライン講座で解説しています。アーカイブ(録画)による受講のご案内は、こちらをご覧ください。
http://sukimano.com/blog-entry-650.html
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。