Nome ana ʻo Pele i Puna Aia ka palena aʻi kai ʻea*
(この歌は)Peleを讃えるため、 そう、Ki*laueaに住む女神に捧げるべく作られたもの。
He inoa nou aʻe Pele ʻea* Ka wahine noho a i Ki*lauea
「PeleはPunaの地でむしゃむしゃ食べている」(nome ana ʻo Pele i Puna)……「nome」に「むしゃむしゃ食べる」という語感があるせいか、獣が唾液をしたたらせながら喰らう姿を思わせるところがある表現です。なんとなく、ゴジラ級の怪物があばれまくるさまが想像されたりもしますが、大地を焼き尽くしていく溶岩流のエネルギーからすると、決して大げさな表現ではないのだと思われます。実際にKi*lauea側の高台から海側を見下ろすと、まだ時を経ていない溶岩流のあとが、いく筋もの黒い帯状にPunaの地を覆っている光景を見晴らすことができます。そうして海に到達した溶岩流は、冷えて固まり、海と陸との境界線(ka palena)を少しずつかき変えてきたわけですね。そう考えると、peleは破壊力である以前に、まずはPunaの地の創造者であったわけですし、そもそもその爆発的なエネルギーがなければ、ハワイの島々自体が現れることはなかったともいえます。創造し生み出す力の源としてそこにありながら、死すべきものの運命をもつかさどるKi*lauea。それは、ハワイのひとびとにとって、まさに女神Peleと呼ぶにふさわしい存在なのだと思われます。
Ki*laueaに神聖さが保たれますように。 (そうして)われわれの生活が未来永劫続きますように。
Hoʻi no* e ke kapu i Ki*auea E ola ma*kou a mau loa
この歌を女神Peleに捧げます。
He inoa no* Pele
圧倒的な存在感でもってそこにあり、人間の力のおよばないものへの畏怖の念を、いやおうなく突き付けてくるKi*auea。その聖性(ke kapu)を担保し(hoʻi no* e ke kapu)、人間がその領分をわきまえることで、その地に暮らすわれわれの命、つつがない日常が永遠に続きますように(e ola ma*kou a mau loa)……こんなふうに、さらっと歌っているわりには、その意味するところが結構深かったりする『Ki*auea』。やさしく語り聞かせるような、構えない雰囲気も際立っていますが、そのあたりに影響しているのではと思うのが、作者であるAlice Na*makeluaの人となり。総数180もの楽曲を残した彼女ですが、その多くは、なんでも彼女がHonoluluのとある施設で働いていた23年間(1935-1958)に、子どもたちに歌やhulaを教えるために作ったものだったりするようです。そんなわけで、このKi*laueaの飾らない感じも、子どもたちに届くことばを選んだ結果なのかもしれない……なんてことを思ったりするのですが、そもそも自然の偉大さに思い至るために、経験や知識といったものが必要なのか?という気もします。そう、なにより大切なのは、ありのままの世界を体験できる、子どものまなざしや感性を持ち続けることではないかと……。おそらく、ホントウのことは、すでに、いつもそこに開かれている。そんなことをいまさらながらに教えられた気がする、『Ki*lauea』なのでした**。
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