Aloha no* paha 'oe e ka pua o ka he*'i* Ke 'i* a'e nei no* wau 'o ka 'oi o Kapa*lama Ma*lama 'ia ko* kino 'o lilo mai ia nei I'ane'i no* ma*ua i ka malu o ke kukui
ここちよい陽射しとさわやかな空気に包まれて、ただそこにいることの幸せを感じているような、限りなく透明な心持ちを思わせる『Pua O Ka He*'i*』。「(ぼくは)きみのことを好きになったのかも」(aloha no* paha 'oe)と訳せそうな愛のことばの宛先は、白く、可憐なhe*'i*(パパイヤ)の花……このなんとも初々しい取り合わせが、恋人の気配やちょっとした仕草にもドキドキしてしまう、そんな若い二人の距離感を連想させます。 「私はあなたに(あることを)伝えようと思う」(ke 'i* a'e nei no* wau)……ちょっとかしこまった雰囲気があるうえに、「(あなたは)Kapa*lamaのまちでも一番(魅力的)」なんて、いきなり言われた相手はびっくりするかもしれません。でも、というかそんな素敵なひとだからこそ、気になって仕方ないですね。きみが誰かほかのひとのものになったりしないように('o lilo mai ia nei)と思うと、夜も眠れない、みたいな……。そんなこころのざわつき加減から、「ぼくら二人ここにいて」(i'ane'i no* ma*ua)とはいっても、決して満願成就というわけではなく、そうなることを夢見ている可能性もありますね。そう、二人して「kukuiの木陰に守られて過ごす」(i ka malu o ke kukui)、幸せなひとときを想像したりしながら……。
Hui: Sweet rosebud o ka uka onaona Pulupe* i ka hunahuna wai I noho a kama'a*ina Ka makani 'O*launiu
「かぐわしい大地」(ka uka onaona)の豊かさと、そこでのびのび育つバラのつぼみ(sweet rosebud)のみずみずしさ。それが「水しぶきにぬれて」(i ka hunahuna wai)いるのは、まさにこの上なく愛されていることの証(あかし)に違いありません。そして、このhui(繰り返し)の最後に語られる「(Kapa*lamaの土地に吹く)'O*launiuの風にもなじんで(noho a kama'a*ina)の部分が愛するひとへの最大の賛辞なのだとすると、土地に根を下ろし、大地とともに生きることをよしとする価値観が、この歌が作られた19世紀にはリアルなものとしてあったのかもしれない……なんてことも想像されます*。
Aloha no* paha 'oe e ke anu a'o Waimea E ka ua Kipu'upu'u lei koko 'ula i ke pili Hali'i maila i luna i ka welelau o ke kuahiwi Kuahiwi ku* kilakila ma*pu ke 'ala me ke onaona
肌を冷たく刺激するKipu'upu'uの雨が太陽に照らされてあらわれた、leiのように丸い祝福の虹(lei koko 'ula)。しかも、虹は「草原に」(i ke pili)弧を描いているとされ、視界をさえぎるもののない見晴らしのいい場所の、なんともいえない開放感が伝わってくるようです。その一方で、虹の彼方にそびえる山々は、そのいただきに魅惑的な雰囲気をたたよわせながら(ma*pu ke 'ala me ke onaona)、ひとびとの思いをただ一身に受け止めつつそこにある……。このあたりの、吟味して選ばれた宝石のようなことばの連なりは、美しい自然の風景以上に、そこに眼差しを向けるひとびとの繊細さやあふれる思いを、その場の空気感とともに伝えているように感じられます。 こうして、前半ではO'ahu島、後半ではHawai'i島北西部、Waimeaが舞台になっている『Pua O Ka He*'i*』。このあたり、楽曲をひとつのストーリーとしてとらえると、愛するひとの居所はどこだったのか?みたいなもやもや感が残らないでもありません。ちなみに、この作品をアルバム『I Ke Ko* A Ke Au』(2017)で取り上げたKeauhouは、「作者は別々の二つの物語を一つの楽曲にしたのかもしれない」と解釈しているようです**。ホントウのところはわかりませんが、ことばの豊かさから自由にイメージを膨らませる楽しさがある程度許されるのも、ときを隔てて出合う作品のよさなのかもしれません。
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