『ハワイ語のはなし』(初級文法から文化・歴史をたどる)


ハワイ語のはなし191(2018年12月配信)
ハワイっていいなと思う前に


 あけましておめでとうございます。気がつけば本メルマガも来月で9年目に突入、おかげさまで昨年、配信数が300を超えました。ずっと読んでくださっているかたには新しい話を、はじめましての方にはとにかくわかりやすい内容を……なんて思いながら気ままに書いてきましたが、これからもどうぞお付き合いのほどお願いいたします。
 それにしても、どうしてハワイ語に興味をもったのか、もっといえばハワイが好きになったのか……と考え始めると、いまとなっては自分でもよくわからないところがあります。みなさんはいかがですか?といろんな方の話を聞いてみたい気分なのですが、年始にあたり、今回は私がハワイ語と付き合ってきた十数年あまりを振り返りながら、『ハワイ語のはなし』をお届けしたいと思います。


●「a-所有形」「o-所有形」と土地の所有

 軽いエクササイズのつもりで始めたフラにはまってしまい、ハワイ語がわかれば、歌の意味を理解できるのでは……と、軽い気持ちでハワイ語辞書を手に取ったのが、言語としてハワイ語に接したはじまりだったように思います。最初はなにもかもが新しいことばかりで、「be動詞」も「have動詞」もないことばを理解できるのか!?と挫折しそうになったのですが、いま思うと、そんなに驚くほどのことでもなかったかなという気もします。例文でみてみると……

1)Nani ke*ia pua.  きれい この花

2)He keiki ka’u   子ども 私の(もの)

 それぞれ、きちんと訳すと「この花はきれいです」「私には子どもがいます」くらいになりますが、1)については「きれい!この花」のほうが、むしろ書きことばではないハワイ語のライブ感が伝わるかもしれません。やっかいだなと思ったのは、2)の「ka’u」(私の)については、「ko’u」というのもあって、両者に明確な使い分けがあること。家族で例を挙げると、子どもや配偶者には「ka’u」(a-所有形)、親や祖父母には「ko’u」(o-所有形)が用いられ、とりあえず、所有するかどうかを選べないものに対しては「o-所有形」と考えて間違いはないのですが、土地は「o-所有形」だというところに引っかかってしまいました。というのも、自らの意思で獲得できないということは、土地は売買したり登記したりといった対象ではないということになるからです。実際のところ、19世紀なかば以降、土地の個人所有が進められる過程でネイティブのひとびとの多くが土地を失ったという事実があります。いろいろ文献にあたってみると、政治状況も含め決してその過程は単純なものではないのですが、ハワイ語を深く掘り下げることで、なにか古来のハワイ的世界観みたいなものを知る手がかりが得られるのではないか……なんて思い始めたことが、ハワイ語の世界に魅力を感じた出発点だったように思います*。


●もっと「k」を……!?

 ハワイ語に「be動詞」や「have動詞」がないことに驚いたのは、アルファベットで表記されているのにな!?という違和感だったのかもしれない……といまになって思います。アルファベットの使用は、18世紀末にヨーロッパからやってきた船乗りたちの記録がそもそもの始まりで、当時はそれぞれの母語で思い思いに記されていたようです。その後、19世紀初頭に米国からやってきた宣教師たちによって、徐々に表記法が確立されていきます
が、彼らがハワイ語に翻訳したバイブルの印刷を目的としていたことが、アルファベットの使用が選択された要因のひとつだったとされます。というのも、アルファベットを使えば、活字を新たに作る必要がないからです。それでも思うようにいかないこともあって、なかなか対応してくれない本国の伝道組織(ABCFM)に、宣教師たちがいらだちをつのらせることもあったようです。そんな彼らの困りごとは、活字の「k」と「a」が通常のフォントセットではぜんぜん足りなかったこと。名詞には定冠詞「ka」(k、e、a、oで始まることばには「ke」)が付くというハワイ語のルールからするとなるほどって感じですが、定冠詞だけでなく、よく使われることばに「k-」が含まれる印象がありますね。たとえば……
 
1) ku'u(私の)、ko*(あなたの)

2)ka’u(私の)、ka*u(あなたの)、ka*na(彼の、彼女の)

3)ko’u(私の)、kou(あなたの)、kona(彼の、彼女の)

 ここに挙げたことばは、「~の」という訳語からもわかるようにすべて所有形で、2)が「a-所有形」、3)が「o-所有形」。そして、注目していただきたいのが、いずれも「k-」のところに定冠詞の意味が含まれていること。たとえば「ka’u」は「k-」と「a’u」にわけることができ、「ka’u」と「a’u」のいずれを用いるかで、次のような言い換えも可能です。

4)ka'u keiki  私の子ども  
※「ka'u」は「ka + a’u」が合体したもの

5)ke keiki a’u  私の子ども

 つまり、「a’u」(私の)の置き場所は名詞の前でも後でもいいのですが、いずれにしても定冠詞は必要なわけです。ほかにも、ke*ia(この)、ke*na*(その)、ke*la*(あの)といったことばにも、定冠詞の「k-」が含まれています。このあたりを意識するひとは少ないかもですが、案外重要な文法事項だと思います**。


●失われた共同体

 フラのレパートリーが増えてきて、ふるさとの風景や愛するひとへの思い以外に、hulaといえば王族のテーマが外せないものであることがわかってくると、なんとなくハワイの歴史的なことが気になり始めました。たとえば、Kala*kaua王やLili’uokalani女王についての楽曲は、彼らが生きた時代背景抜きには理解できないところがあります。また、hulaに関していえば、Kala*kaua王が自らの戴冠式(1883年)や50歳の祝賀パーティ(1886年)
で、数々の演目を華々しく披露させたことが重要で、長く公式の場で行われることがなかったhulaを復興したという意味で、フラを愛好する私自身もその恩恵を受けているともいえます。ただし、Kala*kaua自身は、その復古的な態度によって、欧米勢力から近代化に逆
行する無能な王というレッテルをはられることになり、1887年に制定された新たな憲法、Bayonet Constitution(銃剣憲法)によって、実質的な政治権力を失うことになります。
そうして、政治・経済的に力を増したhaole(欧米勢力)が台頭する一方で、ハワイのネイティブのひとびとが徹底的に主権を失っていく過程をたどると、「陽気な王様」(Merrie Monarch)と呼ばれるきっかけにもなったKala*kaua王最後の打ち上げ花火は、いちかばちかの政治的なかけだったのではないかという気もしてきます。
 いまもなお「Ka La*hui Hawai'i」(ハワイの共同体)とハワイ語で語られるときには、言語をはじめとする文化を共有するひとびとの国という含みがあるように感じるのですが、ハワイ語がいまもhulaとともに生きているという事実は、ハワイ王朝とともにあり得た共同体が、決して過去のものではないことを示しているのではないかと思わずにはいられません***。


●物語られる風景は誰のもの?

 ハワイといえば火山の島で、火の女神Peleを避けては通れない……というか、溶岩が迫ってくる様子が語られたりもするhula kahiko(古典フラ)は、大いなる自然のありのままが、素朴なことばで語られるのがいいなぁって感じで、その独特の精神性にあこがれてもきました。遠くKahikiの地からやってきて、ハワイの島々にすみかを探すPeleの物語なんかも、Ni’ihauからKaua’i、O’ahu、Maui、そして最後にいまも燃えるHawai’i島と、東に向かうほど島が新しいという事実そのもので、神話とは古代の科学のことばでもあったのだろうか……なんてことを考えさせられたりもします。
 その一方で、あらすじだけをたどっていると、ハワイの伝説には「なんでそうなるの?」みたいな話もあったりするわけですが、そのストーリー展開の不思議さとは別に、個人的に疑問に思ってきたことがあります。まだネイティブのひとびとの語りが生きていたのではないかと思われる時期の著者(あるいは編者)に、どういうわけか欧米人が多い印象があるのです。最近、『Legendary Hawai'i and the Politics of Place』(文献4)という著書に出合って知ったのですが、ハワイの合衆国併合後、ハワイを訪れるべき南の楽園として売り出すキャンペーン的な動きがあり、どうも出版の世界で、「Legendary Hawai’i」(伝説にあふれたハワイ)を語る言説が量産されていく時期があったようです。その担い手が、Thomas George Thrum(1849-1932)やWilliam Drake Westervelt(1849-1939)といった翻訳家だったのですが、風景写真を多用してリアル観を演出する一方で、物語の出どころはよくわからない……そんな、ホンモノを知りたいひとにはちょっと残念な著作物が量産されていったのもこの時期でした。彼らにしても、Hawai’iを愛する気持ちに嘘はなかったとは思いますが、ネイティブのまなざしを欠くことで、神話や伝説の魂みたいなものが抜け落ちてしまった可能性もあるのではないか……それはハワイ語の歌詞を訳していても感じることで、どんなにがんばっても翻訳では伝えきれないところはやっぱりあります。まして、観光や投資を呼び込むためのツールとして書かれたものであれば、かなりバイアスがかかっているかもしれないことに、読み手の方が自覚的になる必要があるかもしれません。少なくとも、いくら観光で訪れたにしても、その土地の現実をみることなく伝説や神話を通してのみ風景を眺める態度は、あまりにも失礼ではないかと思うのです。
 そんなことをあらためて思いめぐらせているのは、この年末にはじめて訪れた沖縄本島で、あれこれ考えさせられたからだったりします。美しい海と空、12月なのに温かくなんともここちよい空気感に、ハワイでなくてもいいのかも?!という感覚とともに、沖縄は沖縄だろうという思いがふつふつとわいてきた……そんな感じです。ハワイ王朝のことを事細かに調べたりする私が、琉球王朝のことをほとんど知らないという事実。幹線道路をかすめるように横切って行った戦闘機、延々と続く基地のフェンス。基地問題を大きく取り上げる地元の新聞には、当然ながら全国紙にはない熱さがありました。そんな思いでいたからでしょうか、沖縄料理屋さんで聞いた島唄ポップスに、ハワイ語の歌に通じるなに
かを感じたりもしました。そして、なぜ私がハワイ語)について書き続けるのか?はやっぱりわからなかったりするのですが、戦後生まれの日本人として、まわりまわって沖縄に至る道がハワイだったのかもしれないなと、いま、ぼんやり考え始めています。


注)
*:『Dismembering Lahui』(文献1)では、政治的・経済的社会構造の変化にともない、ハ
ワイのネイティブのひとびとが土地に根差した生活ができなくなる過程をたどりながら、
主権の喪失という観点から合衆国併合にいたるまでのハワイの歴史がたどられています。
**:神に仕える理想とはうらはらに、活字どころか日々の生活にも困窮することがあっ
たという、19世紀はじめの宣教師たちの生活が紹介されているのが『Ka Pa’i Palapala』
(文献2)です。
***:観光振興のための自然破壊の流れを食い止め、持続可能な島々の発展およびネイ
ティブハワイアンの主権回復を訴える『From a Native Daughter』(文献3)では、「Ka La*hui
Hawai'i」というハワイ語が「自治の別の形(主権を失ったものたちの政府のようなもの)」
という意味合いで用いられ、ネイティブのイニシアチブのもとでの自治政府を樹立する構
想が、「国家内国家」(nation-within-a-nation)という仕方で語られたりもします。


参考文献
1)Osorio JK: Dismembering Lahui-A History of the Hawaiian Nation to 1887. Honolulu, University of Hawaii Press, 2002, pp193-249
2)Day AG, Loomis A: Ka Pa’i Palapala-Early Printing In Hawaii. Honolulu, Printing Industries of Hawaii, 1973, p6
3)Trask HK: From a Native Daughter: Colonialism and Sovereignty in Hawaii (Latitude
20 Books). Honolulu, University of Hawaii Press, 1999, pp36-39
4)Bacchilega C: Legendary Hawai'i and the Politics of Place: Tradition, Translation, and Tourism. Pennsylvania, University of Pennsylvania Press, 2013, pp60-101


※オキナ(声門閉鎖音)は「'」、カハコー(長音記号)は伸ばす音の後ろに「*」をつけています。ハワイ語は、とりあえずローマ字読みすることが可能です。
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。