ハワイといえば火山の島で、火の女神Peleを避けては通れない……というか、溶岩が迫ってくる様子が語られたりもするhula kahiko(古典フラ)は、大いなる自然のありのままが、素朴なことばで語られるのがいいなぁって感じで、その独特の精神性にあこがれてもきました。遠くKahikiの地からやってきて、ハワイの島々にすみかを探すPeleの物語なんかも、Ni’ihauからKaua’i、O’ahu、Maui、そして最後にいまも燃えるHawai’i島と、東に向かうほど島が新しいという事実そのもので、神話とは古代の科学のことばでもあったのだろうか……なんてことを考えさせられたりもします。 その一方で、あらすじだけをたどっていると、ハワイの伝説には「なんでそうなるの?」みたいな話もあったりするわけですが、そのストーリー展開の不思議さとは別に、個人的に疑問に思ってきたことがあります。まだネイティブのひとびとの語りが生きていたのではないかと思われる時期の著者(あるいは編者)に、どういうわけか欧米人が多い印象があるのです。最近、『Legendary Hawai'i and the Politics of Place』(文献4)という著書に出合って知ったのですが、ハワイの合衆国併合後、ハワイを訪れるべき南の楽園として売り出すキャンペーン的な動きがあり、どうも出版の世界で、「Legendary Hawai’i」(伝説にあふれたハワイ)を語る言説が量産されていく時期があったようです。その担い手が、Thomas George Thrum(1849-1932)やWilliam Drake Westervelt(1849-1939)といった翻訳家だったのですが、風景写真を多用してリアル観を演出する一方で、物語の出どころはよくわからない……そんな、ホンモノを知りたいひとにはちょっと残念な著作物が量産されていったのもこの時期でした。彼らにしても、Hawai’iを愛する気持ちに嘘はなかったとは思いますが、ネイティブのまなざしを欠くことで、神話や伝説の魂みたいなものが抜け落ちてしまった可能性もあるのではないか……それはハワイ語の歌詞を訳していても感じることで、どんなにがんばっても翻訳では伝えきれないところはやっぱりあります。まして、観光や投資を呼び込むためのツールとして書かれたものであれば、かなりバイアスがかかっているかもしれないことに、読み手の方が自覚的になる必要があるかもしれません。少なくとも、いくら観光で訪れたにしても、その土地の現実をみることなく伝説や神話を通してのみ風景を眺める態度は、あまりにも失礼ではないかと思うのです。 そんなことをあらためて思いめぐらせているのは、この年末にはじめて訪れた沖縄本島で、あれこれ考えさせられたからだったりします。美しい海と空、12月なのに温かくなんともここちよい空気感に、ハワイでなくてもいいのかも?!という感覚とともに、沖縄は沖縄だろうという思いがふつふつとわいてきた……そんな感じです。ハワイ王朝のことを事細かに調べたりする私が、琉球王朝のことをほとんど知らないという事実。幹線道路をかすめるように横切って行った戦闘機、延々と続く基地のフェンス。基地問題を大きく取り上げる地元の新聞には、当然ながら全国紙にはない熱さがありました。そんな思いでいたからでしょうか、沖縄料理屋さんで聞いた島唄ポップスに、ハワイ語の歌に通じるなに かを感じたりもしました。そして、なぜ私がハワイ語)について書き続けるのか?はやっぱりわからなかったりするのですが、戦後生まれの日本人として、まわりまわって沖縄に至る道がハワイだったのかもしれないなと、いま、ぼんやり考え始めています。
参考文献 1)Osorio JK: Dismembering Lahui-A History of the Hawaiian Nation to 1887. Honolulu, University of Hawaii Press, 2002, pp193-249 2)Day AG, Loomis A: Ka Pa’i Palapala-Early Printing In Hawaii. Honolulu, Printing Industries of Hawaii, 1973, p6 3)Trask HK: From a Native Daughter: Colonialism and Sovereignty in Hawaii (Latitude 20 Books). Honolulu, University of Hawaii Press, 1999, pp36-39 4)Bacchilega C: Legendary Hawai'i and the Politics of Place: Tradition, Translation, and Tourism. Pennsylvania, University of Pennsylvania Press, 2013, pp60-101
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