『ハワイ語のはなし』(歴史が読み込まれたmele)

ハワイ語のはなし170(2018年2月配信)
大地を食べる(?)


 大切なひとを「花」(pua)になぞらえたり、「風」(makani)が「うわさ話」の意味で用いられるなど、ともかくそういうものだと思うしかないところがある、ハワイ語独特の修辞法があります。「風の便り」なんて表現もあるので、風がゴシップを伝えるあたりはなんとか理解できそうですが、これはまず日本語にない発想だと思うのが、「’ai」(食べる)に「支配する(ひと)」とか「統治する(ひと)」といった意味があったりすること。たとえば、「’ai ‘a*ina」を文字通り訳すと「土地を食べる(ひと)」)になりますが、比喩的には「土地を所有する(ひと)」や、ある場所に対して「責任がある(ひと)」をあらわします。しかも、土地を食べるのはひとだけではなかったりするのがまた、ハワイ特有のある事情のためだったりもします。そのあたりがうかがえるハワイ語の慣用表現を挙げてみると……

 Ka wahine 'ai honua.   大地を食べる女神。
 
 Ka wahine 'ai la*'au o Puna.   Punaの(大地の)植物を食べる女神。

 Ka wahine 'ai po*haku.   石を食べる女神。
 
 これらはハワイ語の世界でよくもちいられる詩的な表現で、いずれも「ka wahine」は、火の女神Peleをあらわします。地球のエネルギーによって誕生したハワイの島々、とくに、現在も溶岩が流れ続けるHawai'i島では、大噴火のたびにpele(ハワイ語で溶岩を意味する)におおわれ、森やひとびとの暮らしが焼き尽くされては、やがてそこにオヒアレフアが芽吹き、ふたたび生命の営みが始まるという、死と再生をめぐる自然のドラマが、生活そのものとして繰り広げられてきました。火の女神Peleが大地を食べるという表現は、おそらく、溶岩が大地をはうように流れるさまからくるものと考えられますが、それが単なる破壊ではなく島を生み出すエネルギーでもあることからすると、やはりPeleは大地そのものであり、そこに暮らすひとびとが運命をゆだねるべき支配者にほかならない……ということになるのだと思われます。
 もうひとつ、支配の意味で用いられる「'ai」を含むことばとして注目したいのが「Ke Ali'i 'Ai Moku」*。これは、Kala*kaua王亡きあとに王位を継いだLili’uokalani女王をあらわすものとして、19世紀末にハワイ語の新聞で最も用いられた呼び方です。英語の「queen」のハワイ語読みである「kuini」もことばとしてはありましたが、こちらが使われることはまずなかったといい、ハワイ語でないと伝わらないニュアンスがあるという判断のもとで、ことばが選ばれた可能性もありそうです。というのも、queenは王妃の意味でも使われることばで、必ずしも王位を意味しなかったりするからです。そう考えると、「'ai」(統治する)ということばを含む「Ke Ali'i 'Ai Moku」がハワイ語の新聞、つまり王朝を支持する側のメディアでよく用いられたことは、実は政治的な態度表明であったともいえます。一方、王朝を形骸化し、ハワイの合衆国併合をもくろんでいた米国派を支持する英字新聞では、Lili’uokalani女王が単に「Mrs.Dominis」(Dominisは彼女の夫の名前)と記されることもあったとか。女王を支持しない立場からするとさもありなんって感じですが、これほど立場が異なるひとびとが対立していたという、当時のハワイの困難な政治状況がうかがえるエピソードではあります。
 ところで、大地(’a*ina、honua)や石(po*haku)を食べるといえば、自ずと思い起こされる有名なハワイアンソングのフレーズがあります。Lili’uokalani女王が王位を剥奪されたあとにできた暫定政府への忠誠を誓うように迫られたひとびとが、「政府の金なんて価値があるとは思わない。われらにとっては石があれば十分」と歌う、『Kaulana Na* Pua』です**。石を食べても抵抗するぞといわんばかりの内容から、「Mele 'Ai Po*haku」(the Stone-Eating Song、石を食べる歌)としても知られていますが、その歌詞を少しご紹介すると……

 Ua lawa ma*kou i ka po*haku
 I ka ‘ai kamaha’o o ka ‘a*ina

 われらにとっては石があれば十分。
 すばらしき大地を食べるひとがいれば。

 直訳しましたが、ここに登場する「ka ‘ai kamaha’o」(大地を食べるすばらしいひと)は、ハワイのネイティブのひとびとにとっての王であり、島々を治めるべき特別なひとをあらわすと考えられます。そして、これに続く箇所で、そのひとが誰なのかが具体的に語られています。

 私たちはリリウオカラニ女王についていきます。
 そうして、この土地にとっての正義をこの手に取り戻すのです。
 (それはすなわち、女王が王位を取り戻すこと)

 Ma hope ma*kou o Lili’ulani
 A loa’a 'e* ka pono o ka ‘a*ina
 (A kau hou 'ia e ke kalaunu)

 こうしてこの歌にも語られているように、王朝の転覆から合衆国併合に至るまでの数年間、Lili’uokalani女王をはじめ、彼女を支持するハワイのネイティブのひとびとによる抵抗運動があったわけですが、このことに光があたりはじめたのはごく近年になってからのこと***。のちの研究者たちが、米国側の立場から残された記録をおもに参照してきたこともあり、併合された側からの歴史が長らく語られてこなかったためですが、それに加えて、ネイティブのひとびとの思いが記されたハワイ語の資料にアクセスできるひとが限られていたという、ことばの問題も大きかったようです。そして、そのあたりの事情は、いまもって変わらないところがあるようにも思われます。たとえば、先に挙げた『Kaulana Na* Pua』の歌詞にしても、「石があれば十分」というフレーズは、石を食べるPeleこそが大地の支配者(ka wahine 'ai po*haku)という世界観を共有しない限り、ホントウのところはわからないのではないかと思うんですね。石(po*haku)はネイティブのひとびとにとってはPeleの力(権力)の象徴であり、それを分かち持つということは、なんとしても自分たちの「主権」を守りたいという宣言である……こんなふうにとりあえず解釈してみましたが、平易なことば遣いで大切なことをさらっと表現したりするところも、ハワイ語の世界の魅力なのかもしれません。


*:「Ke Ali'i 'Ai Moku」の文字通りの意味は「土地を食べる支配者」。
**:『Kaulana Na* Pua』についてはこちら。
http://hiroesogo.blog.fc2.com/blog-entry-493.html
***:ハワイの歴史については、ながらく欧米目線でしか語られてこなかった状況があり、ハワイのネイティブのひとびとにさえ、彼らの先祖たちが合衆国併合までの100年間をどんな思いで生きたのか……といったあたりが広く伝えられてこなかったという現実があります。近年になって、ようやくネイティブの視点に立った研究が行われるようになってはきましたが、ネイティブによるネイティブの歴史が言説化されるようになったのはここ十数年のようです。そんな状況がよくうかがえるのが、『Aloha Betrayed』(Silva NK, 2004)に紹介されているエピソード。筆者自身がハワイ語の新聞などの資料を通してネイティブハワイアンの抵抗の歴史を知ったときの驚きとともに、彼女が併合当時のネイティブによる嘆願書を展示したときの反響の大きさが記されています(1897年に合衆国併合が決まった際、反対を訴える嘆願書に21,269人のネイティブの署名が集まっていたといい[当時のネイティブ人口は約40,000人]、その556ページにわたる資料のコピーを1998年に展示したところ、新たな事実の掘り起こしに感激したネイティブからの電話が殺到したとされます)。

参考文献
1)Pukui MK: 'Olelo No'eau-Hawaiian proverbs and poetical sayings. Honolulu, Bishop Museum Press, 1983
2)Silva NK: Aloha Betrayed-native Hawaiian resistance to American colonialism. Durham, Duke University Press, 2004, pp1-12, pp164-167


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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。