『ハワイ語のはなし』(ハワイ語研究の歴史1)

ハワイ語のはなし106(2015年6月配信)
エデンに響く声? 


 このあいだハワイ島に行ったときに買いそびれたものがどうしても欲しくて、ハワイに1カ月ほど滞在予定の友人に、思いきって頼んでみました。こころよく引き受けてくれたのですが、開口一番「電話帳みたいなのでなければね(笑)」といわれてドキッ……このたびお願いしたのはCDなのですが、どうやら私が頼むならゴツい洋書だろうと思われてしまったようです。それにしてもその友人、なんで私が分厚い本を買い込んでいることを知ってるのか?……つきあいの長い友人はあなどれませんが(笑)、ちなみにいま読んでいる本の背幅は、500ページ超、約32ミリ。たしかに、電話帳並の貫禄があります。そして、これがまたマニアックな内容で、ハワイ語好きにはたまらなかったりする……というか、「ハワイ好き」ならぬ「ハワイ語好き」なんてひとがどれほどいるのか(?)と思いますが、今回はこの電話帳顔負けの本をご紹介したいと思います。
 タイトルは『The Voices of Eden』。小説みたいなネーミングですが、内容はがっつり「ハワイ語研究の歴史」。そのはじまりは18世紀末、英国人Captain Cookがハワイの島々にやってくるころにまで遡ります。当時のハワイには、英国に続いてスペイン、ロシア、フランスといった国々から船乗りたちが訪れているのですが、この本には、彼らが残した南の島の記録に、ハワイ語についての記述が含まれていることがまず紹介されています。それらはいわば、初めて文字で記されたハワイ語なわけですが*、自然科学系の学者が調査研究のために乗船することはあっても、言語学者が海を渡ることはなかったこともあって、その表記は、とにかく耳にした印象のままをアルファベットで記すという、多分に場当たり的なものだったようです**。もっとも、かりに言語の専門家がいたとしても、はじめて接することばにいきなり文字をあてはめること自体、かなりアクロバット的なところがありますね。しかも、英国人は英語、フランス人はフランス語と、それぞれの母語の特性というか限界のなかで、おのおのアプローチを試みたという事情もあります。というわけで、それらは当時のハワイ語を知るうえで貴重な記録である以上に、各国語の発音や表記法の特徴というか癖を知ることもできる、非常に興味深い資料でもあります。そのなかでも、一番妥当なところに落ち着いているのが、母音の用い方がもともとハワイ語に似ているスペイン語による表記だったようで、その後、本格的なハワイ語研究がはじまったときに最も参照されたのが、このスペイン人たちによる記録だったとされています。
 ハワイ語研究、およびそのアルファベットによる表記が本格的にはじまったのは、1820年以降、米国から宣教師たちが組織的にハワイの島々を訪れるようになってからのことです***。もちろん、彼らのミッションは布教活動であり、ハワイ語研究ではなかったわけですが、聖書をハワイのひとびとが読めるものにするには、まずハワイ語に翻訳する必要があったんですね。というか、なによりもハワイ語を文字で記すルールを作らなければならなかった……。ここで、ハワイ語のための文字を新たにつくるという方法もあったと思うのですが、彼らはあくまでもアルファベットでの表記にこだわります。まずは聞いたままを記すという仕方がとられたために、「Tamehameha(カメハメハ)の名前の綴りが12か14通りもある」****といった状況もあったようですが、それでも少しずつルールが整えられて、長い年月を経て現在の表記が確立されたというわけです。
 もっとも、ヨーロッパ言語にはない音を多く含んでいるハワイ語を、アルファベットで表記するのは至難の業だったようです。たとえばハワイ語には、「t」「k」、「v」「w」のいずれにも該当せず、しいていえば「tとk」「vとw」それぞれの中間としかいいようのない子音もあるようなのですが、それらにもとりあえず、「k」「w」を割り当てるといったことが行われてきました。ネイティブが語るハワイ語の音が、アルファベットの表記と一致しなかったりすることがあるのはそのためだと思われますが、そもそも記されることさえない時代が長く続いた音もある……そう、カハコーで記される長母音とオキナ(声紋閉鎖音)です。カハコーはアクセント、オキナは音を切ることと解釈されてしまっていたことがその大きな要因のようで*****、オキナにいたっては、単体の子音として認識されるようになったのは、学者レベルでも1940年代のことだといいます。ハワイ大学の学生新聞『Ka Leo O Hawaii』が『Ka Leo O Hawai'i』と表記されるようになったのが1991年のことだと聞くと、世間一般の意識はもっと低かったのではないかと思われますが、実際のところ、ハワイ州の議会で「公式文書にカハコーとオキナを用いる」といった議決がなされたのも1992年、しかもハワイ語を教える立場にあるひとたちの働きかけがあってのことだったといいます。近頃はおみやげ品あたりにも「Hawai'i」と印刷されていたりしますが、そこに至るまでの長い道のりがうかがえます。
 こんなふうにたどってみると、ネイティブではない立ち位置でハワイ語に接してきたひとたちの、いわば涙と努力の結晶ともいえるのが、現在のハワイ語表記であることがわかります。その一方で、いまでもハワイの島々のなかで唯一、ハワイ語を母語とするひとびとが暮らすNi'ihau島では、逆にカハコーもオキナも用いられていないという、ちょっと不思議な状況もあります******。おそらく、ネイティブにはオキナもカハコーも必要ないんだと思われますが、その一方で、1820年代に訳されたバイブルを絶対視する立場から、オキナやカハコーがない当時のハワイ語表記こそが、正統なものであるとする考え方もあるようです。そんなことよりも、わかりにくいものは直したほうがいいんじゃないかと思いますが、なんにせよ「はじめに言葉ありき」の宗教ですから、そう簡単にはいかないのかもしれません。
 それにしても、どうしてハワイ語研究の歴史をたどる本に、「the voices of Eden」なんてタイトルがついているんだろう……?と思われた方があるかもしれません。「エデンの園に響く声」と訳したくなるような雰囲気のあるこのことば、実はここでは、18世紀末にはじめてハワイのひとびとに出会った西洋人が、太平洋の島々の文化に対して抱いた、愛にあふれる(?)偏見の象徴として用いられています。どういうことかというと、どうも当時の西洋人は、そのころはやりだった啓蒙思想のもと、ルソーあたりがその著作で描いた「自然人」の姿を、ハワイのひとびとに重ね合わせてみていたようなんですね。文明以前の世界に暮らす、幸せな原始のひと、自然人……人間が人間になるために必要だった知恵の木の実と出合う前に、アダムとイブが暮らしたというエデンを思い描きながら、彼らは書き文字を持たないハワイ語の響きを、まるで鳥のさえずりのように感じたのかもしれません。自らの文化的優位を信じて疑わない彼らの態度は、悪しき西洋中心主義の典型でもありますが、メモをとる姿を不思議そうにながめられたときの衝撃を思えば、さもありなんってところでしょうか。
 いつになく長くなってしまいましたが、実はこれでようやく『The Voices of Eden』を半分たどったところだったりします。いやぁ、おそるべし電話帳……この続きは、残り半分を読み終わったころにお届けできたらいいなと思っています。

*:ハワイ語は、本来、書き記す文字をもたない言語でした。
**:もともと彼らの興味関心は地勢学的なことや動植物にあったようで、言語をはじめ文化的なことについては、付録程度の扱いでしかなかったようです。
***ABCFM(American Board of Commissioners for Foreign Missions)がボストンからハワイに向かったのは、1819年10月23日。
****:当時活躍した宣教師のひとり、William Ellisによる1827年の記録。
*****:現在、声門閉鎖音にあてられている「’okina」という用語は、「切る」という意味の「’oki」に「-na」(名詞化する接尾辞)がついたものですが、かつて、ネイティブのひとびとの間では、同じ子音が「ʻuʻina」と呼ばれていたようです。「ʻUʻina」は、滝が流れ落ちる轟音や雷の音といった大きな音をあらわすことばで、「’okina」のように「切る」という意味はありません。このことは、いまは「’okina」と呼ばれている音が、あくまでも子音であって音を切ることではないことを示しているように思われます。
******:1864年に私有化された後、積極的に欧米化されることがなかったことから、奇跡的にハワイ独自の文化が受け継がれてきたのがNi'ihau島です。

参考文献
Schutz AJ: The voices of Eden-A history of Hawaiian language studies. Honolulu, University of Hawai'i Press, pp1-152, 1994

※オキナ(声門閉鎖音)は「'」、カハコー(長音記号)は伸ばす音の後ろに「*」をつけています。ハワイ語は、とりあえずローマ字読みすることが可能です。

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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。