*: 19世紀なかばに私有地化されて以降、特殊な歴史をたどっているNi'ihau島にだけは、ハワイ語を母語とするひとびとのコミュニティがいまも存続しています。 **:米国から本格的に宣教師たち(American Board of Commissioners for Foreign Missions : ABCFM)が布教のためにハワイに訪れるようになったのは1820年。 ***:宣教師の子どもたちが学んだ学校でも、1870年代はじめ頃まではハワイ語教育が行われていました。ただし、読み書き中心の教育の限界や、そもそもハワイ語教師の人材が十分でなかったこともあって、ハワイ語授業のないカリキュラムに変更を余儀なくされたようです。 ****:ハワイで近代的な立法府が誕生したのが1840年ごろ、本格的な議会制がはじまり、欧米系の議員が多数誕生したのが1851年のことです。1850年代以降、公教育におけるハワイ語軽視の傾向が強まったのは、政治の場で白人勢力が台頭する一方で、新しい社会制度になじみのないネイティブたちが、自らの要求を政治に反映し損ねたことが大きな要因だったと考えられます。 *****:Kla*kaua王の戴冠の式典(1883年)で披露されたhulaのパフォーマンスに、欧米的・キリスト教的な価値観から「倫理的に好ましくない」とされる内容が含まれていたとして、その関係者をめぐる裁判も行われています。最終的に、「担当者はハワイ語がわからなかったため」という理由で無罪になりますが、焦点になったのは性的な内容を含む身体的なことがらをダブルミーニングで語る「kaona」であり、ハワイ語的な倫理観や世界観が否定されたという意味で、当時のハワイ文化をめぐる風潮を象徴する出来事だったと思われます。 ******:http://hiroesogo.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
参考文献 1)Schutz AJ: The voices of Eden-a history of Hawaiian language studies. Honolulu, University of Hawai'i Press, pp 339-354, 1994 2)Day AG, Loomis A: Ka pa'i palapala-early printing in Hawaii. Honolulu, Printing Industries Of Hawaii, 1973 3)Osorio JK: Dismembering lahui-a history of the Hawaiian nation to 1887. Honolulu, University of Hawaii Press, pp74-80, 2002
コメント