『ハワイ語のはなし』(所有形は関係をあらわす)

ハワイ語のはなし203(2019年11月配信)
関係をあらわすことば


 なんとなく意味はわかっても、しっくりくる日本語がみつからなくて困ることも多かったりするハワイ語。そもそも、日本語にはないことばもあるので当然ですが、今回はそんなハワイ語のなかから、「関係をあらわすことば」に注目してみたいと思います。


●「家族」にまつわるハワイ語

 「関係」といってもいろいろありますが、まずは「家族関係」をあらわすことばのなかから、対応する訳語がなく日本語にしにくい典型例を挙げてみます。

1)kaikuna*ne (女性にとっての)男のきょうだい

2)kaikuahine (男性にとっての)女のきょうだい

3)kaikua‘ana (同性にとっての)年上のきょうだい

4)kaikaina  (同性にとっての)年下のきょうだい

 それぞれの訳語を「~にとっての」としたのは、誰の立場から語られるかで、同じ人物が違う仕方で呼ばれることによります。そのぶん、日本語の「兄・弟・姉・妹」よりも、具体的な人間関係のありかたが表現されているともいえます。
それにして、なんでこんなにややこしいの(!?)って感じですが、この微妙なことばの使い分けは、古代のハワイのひとびとの家族関係に由来するようです。たとえば、1)2)のような異性のきょうだい間だけで用いられることばの存在は、家族内で期待されていた役割が、性別によってある程度決まっていたであろうことことをうかがわせます。一方、3)4)からは、年齢による上下関係が同性間でのみ意識されていたことがわかりますね。こんなふうに、性別と年齢の軸を別々に扱い、どちらにフォーカスするかで用語が使い分けられる感覚は、日本語にはまずないものだと思われます。
 ここまで厳密にきょうだいを区別しているわりには、ちょっとざっくりし過ぎてやしないかと思うのが、親および親のきょうだいを意味する「makua」の使い方。いわゆる「おじ」「おば」が両親と同じことばで表わされるなんて、なんか変(?)な気もしますが、個人というよりも「世代」をあらわすことばであるととらえると、なるほどと思うところもあります。というのも、「makua」といえば、先祖にさかのぼったところにイメージされる家族の守り神「aumakua」や、さらにさかのぼったところに奉られる「akua」(神的存在)といったことばにも含まれることば。こんなふうに、自分に先立つひとびとを語るときに用いられる「makua」には、日本語の「親」にはない、「(地)層」の感覚があるのではないかと考えられます。


●ものごとの関係をあらわす「所有形」

 日本語で「所有形」といえば、「私の」「あなたの」からはじまって、「机の(脚)」みたいな感じで、「~の」を使うとたいていの所有関係をあらわすことができることば。注意したいのは、ハワイ語では「~の」にあたることばに「a」と「o」の二種類あり、それぞれに使い分けがあったりすること、たとえば……

5)ka mele a ka pu'uwai
こころの歌(こころが表現する歌)

6)ka mele o ka pu'uwai
こころの歌(こころのことを表現した歌)

 「a」「o」を「~の」と訳してしまうと、いずれも「こころの歌」となり、5)と6)の違いがわからなくなります。一方、そのあたりをはっきりさせたのが( )内の訳。こんなふうに訳し分けられるのは、「a」「o」それぞれに、ざっくり次のようなニュアンスの違いがあるからです。

[a]
・能動的。
・持つか持たないかを選べる。
・手に入れる対象、お金で買える。

[o]
・受動的。
・持つか持たないかを選べない。
・自ずと備わっている、お金で買えない。

 5)6)の違いを考えるにあたっては、「a」は「能
動的」、「o」は「受動的」である点が手がかりに
になります。
まず、「a」が用いられている5)では、「ka pu'uwai」(こころ)が「ka mele」(歌)に能動的に関わる、つまり、「こころが思いを歌う」という関係があります。一方、「o」が用いられている6)では、「ka pu'uwai」(こころ)は歌に対して受動的……ということは、歌の内容が「こころのことを表現している」となるわけです。
 そして、この「a」「o」の使い分けは、これらを含むほかのすべての所有形に共通するものだったりします。たとえば……

7)ka'u ka*ne 私の夫

8)ko'u makuaka*ne  私の父

 いずれも「私の」と訳される「ka'u」「ko'u」ですが、「a」と「o」が使い分けられるのは、私とそれぞれの対象との関係が異なるから。逆にいうと、どちらを使うかで対象との関係を表現するのが「a」「o」およびこれらを核とする所有形であるといえます。たとえば、7)で「ka'u」が用いられているのは、夫をはじめパートナーは獲得しなければ手に入れられないから。一方、父親については、(死別や生き別れはあったにせよ)その存在をなかったことにはできない、という意味では「受動的」な関係にあります。こんなふうにハワイ語の所有形は、「持つ、持たない」といったこと以上に、「ひととひと」「ひととモノ」、ときに「ものごと同士」のあいだにある関係のありかたをあらわすことばなんですね。


●二つの「私たち」

 「私たち」(3人以上)といえば、「Aloha ka*kou!」(みなさんこんにちは!)といったあいさつのことばでもおなじみのことば。私たち(3人以上)をあらわすハワイ語には「ma*kou」というのもありますが、「Aloha ma*kou」といったのではあいさつになりません。どういうことかというと……そう、「ma*kou」には語りかける相手が含まれないために、「aloha」を分かち合おうという表現にならないからです。
 逆に考えると、「ka*kou」(二人の場合は「ka*ua」)が用いられると、多くの場合、相手への誘いや呼びかけの意味合いがあるということになります。なので、たとえば「E pili ka*ua」は「一緒になりましょう」という愛情表現であり、「私たちは一緒になります」(e pili ma*ua)という報告文ではない、ということになります。

 こんなふうにたどってみると、訳しにくいハワイ語は、ハワイ語ならではの発想、もっといえばその独特の世界観にふれる入り口でもあることがわかります。辞書の訳語がしっくりこないなと感じたら、取り残されているなにかを想像してみたり、そのひっかかりの部分に自分の感性でことばを与えてみるのもいいかもしれません。

*お知らせ*
 今後のバックナンバーについては、過去のものも含め『隙間のりりーのハワイアンソングブック』にアップしていく予定です。
http://hiroesogo.blog.fc2.com/
 
※オキナ(声門閉鎖音)は「‘」、カハコー(長音記号)は伸ばす音の後ろに「*」をつけています。ハワイ語は、とりあえずローマ字読みすることが可能です。
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。