個々の単語の意味がわかっても、いざ日本語にしようとすると、なかなかぴったりくる訳語がみつからなかったりするメレ(歌)のハワイ語。言語としてのハワイ語のむずかしさだけでなく、歌詞ならではのアプローチが求められるからではないかと思うのですが、今回はそんなメレのハワイ語を訳すコツを、隙間のりりーの「ハワイ語ミニ講座」風にまとめてみたいと思います。取り上げるのは、『Ka Uluwehi O Ke Kai』の冒頭部分。作者Edith Kanaka'oleの語りや、彼女が目にしたであろう空間の広がりを想像しながら、こんなふうに訳してみました。
こんなふうに、「he」ではじまることばは、それを導く「問い」とセットで考えると、物語の文脈がとらえやすくなります。たとえばこの『Ka Uluwehi O Ke Kai』の冒頭部分だと、「(作者である)私がながめているものは何か?というと」みたいな問いに対する応答が、「he ho'oheno」(愛すべきもの)であるというわけです。 メレの歌詞では、いわなくてもわかることは省略されることが多いですが、そこを補ってみたのが2)になります。文法的には「he ho'oheno (mea)」が述語、「ia」が主語。そして、このときの「mea」は漠然と「もの・こと」を、「ia」は前述の問いでフォーカスがあたっているなにかを「それ」とさすことば。このあたりを補うことがメレを語りとしてとらえる手がかりになるので、結構、大切なところだと思います。
●視界の拡がりを感じさせる「aku」と「la*」
Ke kai moana nui la* 沖に向けて広がるこの開放感。
「沖に向けて広がるこの開放感」なんて、かなり自由に訳していますが、このたった数行のなかに、空間のひろがりをたっぷり感じさせることばが含まれているあたりを、ギュッと凝縮してみた訳語です。 細かくみていくと、視線が遠いところに向かっていることをあらわすのが、「ke 'ike aku」(見ると/見るときには)の「aku」です。これが「ke 'ike mai」だと、対象にフォーカスがあたっている、あるいは身近に感じていることがわかる……そんな使い分けがあります。文法的に「方向詞」と呼ばれる「aku」と「mai」ですが、物理的な動きの方向だけでなく、まなざしを投げかけるひとの意識が表現されたりもするんですね*。 そんな語り手の視線の先にあるのが「ke kai moana nui」。外海に続く空間のひろがりを感じさせる「ke kai moana」に「nui」(大きい)が続き、「la*」のところでより広く、もっと遠く……と、はてしなさを含むことばが連なっています。それ自身を訳しにくい「la*」ですが、「ke*la*」(あれ)、「pe*la*」(そのように)、「i laila」(そこに)といったことばに含まれるのが「la*」で、空間的な遠くから心理的な距離、驚きからときに疑いの気持ちまでをあらわします。歌詞に引き寄せて考えると、大海原を見晴らしながらわき上がってきた思いのままに、ふと口をついて出たことばが「la*」だったりするかもしれません。
●自然の恵みを語る「nui」
こんなふうに、1行目、2行目で徹底的に空間の広がりが語られたあと、少し視点が変わるのが3行目です。
Nui ke aloha e hi'ipoi nei (この海は)たくさん愛を育んでいるのよ。
ここで注意したいのは、「ke kai moana nui」(大きな海)では「大きい」と訳された「nui」が、後ろに続くのではなく文頭にあること。そう、説明は「うしろから」、述語は「前」。というわけで、この「nui」は「大きい〇〇」と形容することばではなく、「状態動詞」と考えられます。なので「大きい状態である」と訳してもいいのですが、主語が「ke aloha」なので、「nui」のもう一つの訳語、「たくさんある」のほうが自然かなと思われます。 もう一つのポイントは、「aloha」と「hi'ipoi」の訳し分け。「hi'ipoi」を「cherish」(愛情を込める)とだけイメージしてしまうと、「愛おしい愛」みたいなよくわからない訳語になってしまう……。というわけで、ここはぜひとも「hi'ipoi」の意味合いを、「食事を与える」「子どものようにかわいがる」あたりまで広げて理解しておきたいところ。そうすると、海には「育む愛がある」というところから「海藻が育つ場所」につながり、「(その証拠に)li*poaの香りがするでしょう」(me ke 'ala o ka li*poa」)と展開するわけです。
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