*:Ka‘ahumanu(1768-1832)は、Kamehameha一世が最も寵愛したとされる王妃。Kamehameha一世亡き後、幼くして王位に就いたKamehameha二世、三世に代わり、Kuhinanui(摂政的な立場)として政治的権力を発揮した。 **:欧米諸国からその存続をおびやかされていたハワイ王朝は、英国から理不尽な圧力を受けて、あやうく植民地化されかねない危機に陥ったことがありました(1843年)。このとき、交渉役として外交的な力を発揮したのが宣教師たちで、彼らの影響力は、その後、二世、三世へと引き継がれていくことになります。ニュージーランドが英国領になったのが1840年、続いて1842年にフランスがマルケサスを武力で占領し、タヒチもその後フランスの保護領に(1880年併合)、1853年にはニューカレドニアも併合されて……といった状況を考え合わせると、当時のハワイがあやういところにあったことも想像に難くありません。 ***:フラを学ぶひとたちを非難する宣教師たちの投稿が新聞に掲載されるような時代が続いたものの、フラが法律で取り締まりの対象になるような状況ではなかったようです。 ****:Kala*kauaの時代にフラを記録したのが、ハワイに渡った宣教師の二世であるNathaniel B. Emerson(1839-1915)による『The Unwritten Literature of Hawaii: The Sacred Songs of the Hula』。1909年に刊行されると、たちまち権威のあるスタンダードとして重宝されるようになった文献です。EmersonはKala*kauaの時代に集めた情報をもとに、ダンスや楽器、フラのトレーニングや衣装について具体的に記述しており、今日のフラマスターたちにとっても貴重な情報源。ただし、すべての記述が正しいわけではなく、『Hula-historical perspectives』では、以下のくだりは誤りであろうと指摘しています。「フラは宗教的なサービスであり、古代のハワイ人は個人的に非公式な仕方で、自分たち自身の楽しみのために踊りにふけることはなく……トレーニングされたひとによる、報酬のある行いだった」(pp.11-13)。
参考文献 1)Dorothy BB, Pukui MK, Kelly M: Hula-historical perspective(Pacific Anthropological Records No. 30). Honolulu, Dept. of Anthropology, Bernice P. Bishop Museum, 1980, pp1-2 2)Emerson NB: Unwritten Literature of Hawai‘i-the sacred songs of the hula. Honolulu, Mutual Publishing, 1998 3)Kame‘eleihiwa L: Native Land and Foreign Desires-Pehea La* E Pono Ai? Honolulu, Bishop Museum Press, 1992, pp184-185 4)Osorio JK: Dismembering lahui-a history of the Hawaiian nation to 1887. Honolulu, University of Hawaii Press, 2002, pp193-205 5)Bacchilega C: Legendary Hawai'i and the Politics of Place-Tradition, Translation, and Tourism. Pennsylvania, University of Pennsylvania Press, 2013
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