Pauoa Liko Ka Lehua

Pauoa Liko Ka Lehua





 パウオアといえばレフアのリコ(新芽)が美しい場所。
 (そのみずみずしさに)こころ奪われたまま、つのる思いは尽きることがない……。

 パウオア(Pauoa)は、オアフ島南部、ワイキキから西へ向かいダウンタウンを越えたあたりにある地域の名前です。レフアといえば、たいていその花(pua)の部分が歌われますが、「新芽」(liko)だけにスポットがあてられているのは、十分な日差しがないパウオアの高地では、芽が出たあと花が咲かないからだとか……そんな環境でも、パウオアの土地にしっかり根をおろしているリコカレフア-その姿が目に浮かぶような歌詞が、このあと続きます。

 あ~ちらっとでも見たくてたまらない。
 Ha'aheo(りっぱ)なお尻がゆらゆら揺れる、そのさまを……。

 なんと、リコカレフアと歌われていたのは、(女性の?)お尻だったんでしょうか。「りっぱな」と訳した「ha'aheo」には、「proud」(プライドのある、誇らしい)みたいな意味もあるせいか、なんだかそうとう大きくてどっしりしたお尻を想像してしまいます。しかもそれが、ゆらゆら揺れているっていったい……「1秒間に1回、あるいは2回、右へ左へ」とも歌われるので、ゆらゆらというよりも、もっと激しい動きなのかもしれません。

 Ka pilinaがうまくいかない。
 Nihonihoのある、そのふちのところがちゃんとフィットしない。
 そう、あなたのpelekoki(ペチコート)のところから、
 そのnihonihoがいっぱいぶら下がっている(のを感じる)。

 なんだか妙な(?)展開になってきましたが、「ka pilina」は、「結びつく、くっつく」という意味の動詞「pili」の名詞形で、抽象的にはあらゆる人間のつながりや関係を表すことばです。さっきまでお尻をながめていたと思ったら、いきなり合体(?)したんでしょうか……「nihoniho」は、まずは「(鮫の)歯」(の並び)の意味があり、そこから「ギザギザ」「うねうね」した形状のものからスカートの縁飾りみたいにひらひらしたものまで、あらゆる用いられ方をすることばです。ここではそのnihonihoが、あなたのpelekoki(ペチコート)のふちについているとされますが、ペチコートといえば、スカートの下に身につける下着みたいなものであることを思えば、おそらく、ふつうは見えないものを見ている状況ではないかと想像されます。しかも、それのギザギザ(うねうね?)のせいで、ある種の合体がうまくいかないのを感じている(?)みたいな……。

 その部分、そのふちのところは、私の場所(領分)なんだ。
 恋人のからだの恍惚感が絶頂に達したらね。
 'Auwaiolimuの水辺は愛すべき場所。
 そこは私のalohaのこもった手によって愛される。

 'Auwaiolimuは('au-wai-o-limu)、パウオアにある通りの名前で、かつてはそこが苔なんかが繁茂する水路だったことがその名の由来のようです。こんなふうに、対象の特徴をその形状や感触から別のものに置き換えたり、場所の名前にリンクさせたりしながら、シークレットな部分にまつわる喜びを高らかに歌いあげるのは、古代のoli(chant)にもつながるハワイ語のmeleの特徴のひとつです。というか、そもそも隠すべきものとそうでないものを秩序づける規範みたいなものが、ハワイ語の世界と(少なくとも現代の)日本語の感覚とでは、随分違っているのかもしれません。
 この歌が作られたとされる1920年代といえば、公教育の場でハワイ語の使用が禁止されていたことが象徴するように、ハワイの伝統的な文化がのきなみ否定され、欧米的な価値観がどんどん流入していた時期でした。そんな時代のただ中にあって、ハワイ人にしかわからない仕方できわどい内容が堂々と歌われ、しかも居合わせたhaole(西洋人)にはなんのことかわからない、みたいな状況もありえたことを思うと、単に男女の性愛を描いているだけに思えるこの歌が、ある種の「プロテスト」の表明にも思えてくるから不思議です。そんなこんなで、ハワイアンソングの途中に絶妙なタイミングで聞こえてくる、ミュージシャンのあのクスクス笑いの意味が、少しわかったような気がしています。
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隙間のりりー

フラダンサー&ミュージシャンを応援するハワイ語講師。
メレの世界を深く知るためのハワイ語を、わかりやすく解説します。